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帰国

NY JFK空港にて。あと30分ばかりででアメリカをあとにする。

IMG_2279(変換後)


数えてみたら、アメリカ到着直後に始めたこのブログも、これが439番目のエントリーになる。ひと月あたり約20エントリーのペースか。

そう考えるとずいぶん大変そうに聞こえるけど、ブログを続けることに特に苦労はなかった。

きっと書くことそのものが好きなんだろうし、書き続けることでいろんないいことがあったし。自分のブログを読み返してやる気が出たり、もやもやした頭がすっきり整理できたり、コメントしてくれた見ず知らずの人と知り合いになれたり。

これで留学中のブログはおしまい。

それでは今までこのブログを読んで下さった皆様、どうもありがとうございました。

この先どうするかは、今いろいろアイデアを考えてる。帰りの機内ででも考えをまとめてみようと思う。
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2010/05/25(火) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(5)

フィリー最後の数日(2)

毎日最低一回は顔を出していた近所のカフェにて、オーナーのDavidと。

最後の日々10

留学最後のフィリーズ観戦。悠梧もすっかりフィリーズファンになってしまった。前日は松坂の前に8回2死までノーヒットに抑えられていたフィリーズ打線はこの日も沈黙。慧梧はいつでもどこでも寝て暮らす毎日。フィリーの記憶なんて全くないんだろうな。彼、アメリカ人でもあるのだけど。

最後の日々7

試合観戦後、自宅での最後のパーティ。家族も含めて20人くらいが来てくれた。そして最後のバッファロー・ウィング。このアメリカが誇るB級グルメを世に送り出したAnchor Barから、調理済みのものを取り寄せてみた。確かに旨い。翌朝、最後のゴミ出し。フィリーはリサイクル/それ以外の2分類のみのシンプルさ。これが鎌倉に戻ったらゴミの分類は10を超える。アメリカでこれを強制するのはまず無理な相談。

最後の日々8

早朝からセンターシティでもろもろの用事を済ませて家に帰る途中に見えた市庁舎。結局一度も登らなかったな。てっぺんに立つのはベンジャミン・フランクリン、ではなくて、ウィリアム・ペン。フィラデルフィア市の建設者。

最後の日々9
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2010/05/25(火) | 生活 | トラックバック(0) | コメント(0)

フィリー最後の数日(1)

卒業式を終え、フィリーでの最後の数日が過ぎていく。

一度見ておきたかった、ペン大デザインスクールのFisher Fine Arts Library内にあるHarvey and Irwin Kroiz Gallary。ペン大でも教鞭を執ったルイ・カーンの常設展示で有名。これはソーク研究所の模型。

最後の日々1

卒業式同様の快晴に映える、Fisher Fine Arts Library。映画「フィラデルフィア」にも使われた。この図書館には試験前に何度となく足を運んだな。

最後の日々5

悠梧にとっても慣れ親しんだ友達とのお別れのとき。お別れのピザパーティ。寂しいような照れくさいような、彼が生まれて初めてみせる複雑な表情に、この2年間の成長を感じる。

最後の日々3

仲良し3人組でいつものポーズ。

最後の日々2

自宅前での最後の疾走。補助輪が初めて取れたのもここだった。

最後の日々11

その自転車を梱包し、人生で15回目ほどになる引越し。

最後の日々6

日系の運送業者の対応に、しばらく忘れていた日本のおもてなしサービスを思い出す。なんだかんだいって日本人にとって心地よいことは確か。顧客を日本人に閉じてそのニーズに特化するのももちろん一つの戦略。でもこれからますます人口が減る中で全ての日本企業がその戦略を取りつつ全体として成長するのは無理な話・・・、などということを考えながら作業を見守る。
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2010/05/24(月) | 生活 | トラックバック(0) | コメント(2)

快晴の卒業式

2008年7月に不安と期待を抱えながらウォートンの扉を開いてからほぼ2年。MBA受験の準備を始めてからは4年半。ついに卒業を迎えた。

Locust Walkを賑やかに行進して

卒業式8

大勢の家族や友人が待ち構えるFranklin Fieldへ

卒業式11

快晴のフィールド

卒業式3

WGA PresidentのShockyouによる堂々のスピーチ

卒業式10

一人一人、Anjaniから名前を呼ばれて壇上へ

卒業式1

この2年の間、自分だけではなく、悠梧も大きく成長し、そして慧梧が生まれた

卒業式2

珈琲妻には感謝しつくせない
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2010/05/18(火) | MBA | トラックバック(0) | コメント(10)

Final Friday(2)

Final Fridayの最後には、Nakahara教授がスピーチをしてくれた。彼は、ウォートンの入学式にあたるCoonvocationでも教授代表としてMBAの2年間で得るべき3つのもの(「フレームワーク」、「自信」、「レピュテーション」)を示してくれた(詳しくはここ)。

「フレームワーク」と「自信」を得た実感は十分にある。多くの学生もそうだと思う。一方で、「レピュテーション」は、彼がそれを提示したときから想定していたとおり、とても難しい課題だった。学内での知名度という単純な話ではない(もちろんそれも一要素ではあるけど)。自分は人に何をもって知られているか、それはどの程度明確に知られているか、そしてそれはどの程度価値のあるものなのか。

Nakahara教授はConvocationで、MBAではやることを絞ってそれをめちゃくちゃ上手くやれと語った。それは正しいアドバイスだった。これだけタレントとやる気に溢れた大集団においてレピュテーションを築くには、選択と集中が確かに必要条件だった。

この2年間を振り返ってこの難題をクリアできたと自信をもっていえる学生は決して多くないことはNakahara教授も当然に分かっているのだろう。MBAはあくまでこの先の人生の助走期間でしかないからね、本当の勝負はこれからさ、と言い添えてくれた。その一言に少し救われ、でもとても悔しい思いが残った。

この先の人生で大切にしたい教訓を、Nakahara教授の2年越しのスピーチからいただいた。
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2010/05/18(火) | MBA | トラックバック(0) | コメント(0)

Final Friday(1)

Final Fridayは卒業直前の金曜日に催される、ウォートンの比較的新しい恒例行事。一年時を共に過ごしたコホート単位でまずは集まり、思い出を語ったり、教授から最後のレクチャーを受けたり。

final friday

我がコホートには、マーケティングの教授陣のヘッドでもある、Raju教授が来てくれた。彼がくれたこれからの人生のアドバイス。

Raju.jpg

中でも心に残ったのは、このふたつ。

• Say one good thing about a person each day – to that person.


毎日、その人についていいことを口にしよう。しかもそれを本人に直接伝えよう。いいことを言われればその人の一日がそれだけで素晴らしいものになる。それを毎日繰り返す影響は計り知れない。その人にとっても、結果として、自分にとっても。

• Think of life as a marathon – not a sprint. Each of you will work for another 40 years. How do you win?


人生は短距離走ではなくマラソン。この先40年ばかり働くわけでしょ。そこでどう勝負するか。まずは健康。勝負の場に身をおけなきゃ話にならない。そして変化を受け入れること。過去40年の変化を考えれば、この先40年の変化の程度は想像できるはず。そして、自分より優れた人間を進んで部下にすること。マーケティング部門で新しい人を採用するかどうかにあたっては、教授陣に対して、その人が自分より優れていると思うかどうかで判断をしろと常々いっている。人生のマラソンでいい勝負をするには、自分より優れた人に働いてもらうことが何よりも必要。

彼がマーケティング部門を束ねている理由がちょっと分かった気がした。

その後は会場を大学内の劇場に移してのセレモニー。この盛り上がり。このエネルギー。

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2010/05/17(月) | MBA | トラックバック(0) | コメント(0)

卒業確定

たった今オンラインで確認したら、最終学期の単位が全部取れていた。これで卒業が正式に決定。といいつつ、卒業式は35時間後のことで、当たり前のことではあるのだけれど。


"You can only be a Wharton MBA candidate for two years, but you will be a Wharton MBA for life."

-Alex Edmans
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2010/05/15(土) | MBA | トラックバック(0) | コメント(2)

Final Pub

毎週木曜日にキャンパス内で催されるパブも今回が最終回。これまでほとんど参加していなかったが、最後ということで顔を出す。

今回は一年生はおらず二年生のみが対象のパブ。にもかかわらず、まだ一度も話したことがない学生が少なくないことに改めて驚く。何人かの友人がまさに同じように感じていたようで、でもそれがウォートンのリソースの大きさだよね、という話に。HBSと並んでビジネススクールでは最大規模の学校だけに、2年間では到底出会いきれない学生、習い尽くせない授業、経験し尽くせない活動に溢れている。だからこそ自分の選択が重要になる。自分は正しい選択をしたのだろうか。そんなことを今更ながら考えさせられる。

帰り道、ブラジル人の友人とたまたま一緒に。これまで頻繁に挨拶は交わしていたもののまだ深く話したことはなかった。ウォートンでの経験、これからのキャリアのこと、それぞれの母国への思いなどを語る。何だか別れがたく、ちょっと遠回りながらうちまで一緒に行くよという。じゃあうちの子供に会いにおいでよ、と我が家に招き入れる。

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Azor1.jpg

自分は本当にここでできることをやり尽くしたのだろうか。
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2010/05/15(土) | MBA | トラックバック(0) | コメント(0)

経験を伝える、経験から学ぶ、という文化

振り返ってみるに、ウォートンなりMBAの面白いところは、学校にいつも誰かしら面白いゲストスピーカーがやってきてその経験や知見を語ってくれること。授業や学校全体の公式行事として招聘したり、学生がクラブ活動などとして企画したり。コカコーラのCEOインドの世界的な宗教家から地元のちょっとした起業家まで、実に幅広いバックグランドの人達がひっきりなりに学校を訪れる。一日に複数の講演が重なることもしばしば。珈琲男も藤本隆宏教授夏野剛氏をウォートンに招聘して知見を語っていただく活動に関りもした。

学生もこういう機会をとても大切にしており、著名なゲストだとウォートンで最大の300人超収容のホールが講演開始のずっと前に満席御礼になる。珈琲男はこういう機会にかなりの頻度で参加しているが、満席だったり都合がつかなかったりで、いくつかのイベントを逃した。カルロス・ゴーンだったり、最近ではマジック・ジョンソン(懐かしい!)だったり。あ、あとそういえばしばらく前にテクノロジークラブがMCハマー(さらに懐しい!)を呼んでたな。

経験者の話を聞く機会というのは地域社会にも溢れている。例えばしばらく前、自宅にこんなチラシが放り込まれていた。

著名人講演(Kimmel Center)

著名人がフィラデルフィアはキンメル・センター(フィラデルフィア交響楽団の本拠地)で講演しますよ、という宣伝。一講演あたり$400前後と値は張るが、「World is Flat」の著者であるトーマス・フリードマン、デ・クラーク元南アフリカ大統領、などなど、蒼々たるメンバー。アメリカでは講演ビジネスが随分と発達している、ともいえそうだ(何しろ講演者専門のマネジメント会社も存在する)。

ネット上の講演でいえば、最近有名なのはTEDだろう。上のチラシ左下にも出ている作家、エリザベス・ギルバートの創造性についての講演は、珈琲男のお気に入りのひとつ。日本語字幕付きでも見られるし、これ、必見。



語り手となる機会は、何も著名人に限らない。例えば、悠梧が通う学校では、ペンシルバニア大学の付属の学校で親が国際色豊かで研究者が多い、ということもあり、生徒の親が時折教室を訪れては子供たちにいろんな話をしてくれる。自らが研究するエジプトの話だったり、出身国の文化だったり。珈琲妻も3度ほど教室で日本の文化を紹介してくれた(珈琲男も助手として協力)。

このような、経験者の語りから何かを学ぶ、という文化がもっと日本にあったらいいのに、と思う。学校では生徒が、企業では社員が、地域社会では一般市民が、それぞれ語り手から何かを学ぶ、という文化。

思うに、語り手、聞き手にそれぞれ必要なスキルや態度があると思う。

語り手についていえば、経験を結晶化して意味あることを伝えること、守秘義務の範囲を常識的に判断すること、そもそも分かりやすくかつ面白く話すスキルを身につけること、などなど。

意外に聞き手側にも大切なことが多いと思う。

問題意識をもって聞くこと、細かいことで揚げ足をとらないこと、最低限の礼儀をもちつつも必要以上に相手に対してかしこまることなく、一人の同じ人間として為してきた経験を感じようとすること、一つ一つの機会を大切にして人から何かを学ぼうとすること、話をしに来てくれたことに対して感謝すること、他の参加者のためになるくらいの質の高い質問を簡潔にすること、など。

こうした文化の形成に、例えばTEDxTokyoなんかが貢献してくれたなら、と思う。
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2010/05/13(木) | MBA | トラックバック(0) | コメント(0)

Whiz Kids

whiz = (ピューっと飛んでいくことから)やり手、切れ者、達人
whiz kid = 若手の大物、青年実業家、神童

これが複数形(whiz kids)となって、凄いことをやってのけた若者グループ、ということになれば、歴史的に有名なのは、

● 1946年に第二次世界大戦の退役軍人からフォードの幹部に転身し、フォードの立て直しに活躍した10人組

● その一人で後にフォード社長になったロバート・マクナマラが1961年にケネディ政権下で国防長官に任命された際に彼を支えた、ランド研究所出身の若手スタッフ

そして、時期的にその二つの間、1950年のWhiz Kidsが、

● 平均年齢わずか26歳という若手主体のチームでナショナルリーグ優勝を果たしたフィリーズ



日本でいえば、

幕末の志士達はまさにWhiz Kids。

戦後を代表するベンチャー、ソニーやホンダを興したのもWhiz Kids。

翻って現代のWhiz Kidsは?

確かに個人としてはいろいろ名前が挙がるだろう。

でも、複数名のグループとしては?

そんなグループがぽこぽこ出てきたらきっと日本はもっと面白くなるだろう。
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2010/05/10(月) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

1860年をめぐる留学生活の振り返り

母の日の朝ということで近所のカフェに家族で出かける。以前ブログでも紹介したこのLuteciaというこの店の名前は、きっとパリの古い呼称からきているのだろう。

座った席のすぐ後ろの壁に、1860年のパリを描いた一枚の絵が掛けてある。シテ島上空から西を望むイメージ。絵の中央やや右にルーブル美術館。そしてセーヌ川をさらに奥にいった場所にエッフェル塔はまだない。

1860年といえば、オスマンによるパリ大改造が行われていた時期にあたる。世はナポレオン3世による第二帝政期

今から約150年前に相当するこの1860年頃というのは、2年間の留学中に何度も意識した自分にとって象徴的な時代だ。

まずなにより今住んでいるこのフィラデルフィアの家がちょうどその頃に建てられたと大家さんから聞いている。室内は近年に改装されているものの、床と壁の一部は建設当時のものがそのまま残っている。

ちなみにこの家が建てられた頃のアメリカは南北戦争(1861-1865)の時代。フィラデルフィアは当然北軍。両軍の事実上の決戦となったゲティスバーグの戦い(1863年7月1日~3日)はペンシルバニア州での出来事。この戦いにおける戦没者のための式典においてリンカーン大統領が同年11月19日に行ったのが、ゲティスバーグ演説(...government of the people, by the people, for the people..)。

そして選挙時、就任時に何かとリンカーンを自身とダブらせていたのが、現オバマ大統領52th St.で行われた彼の演説に家族で出かけもしたし、ちょっと元気を出したいときにwill.i.amによってアレンジされた「Yes We Can」をこの留学中何度も聴いた。あの時のアメリカの熱気に触れた身としては、大衆の飽きやすさというものが今後も強烈に記憶されると思う。

この時期アメリカは南北では奴隷制度を巡って戦争をしていたが、東から西への開拓も同時に行われてた。そもそも南北戦争は、領土が西部に広がることに伴い、新州に奴隷制を認めるかどうかで南北が対立したことによって引き起こされたもの。西部開拓では各地で連邦政府とインディアンとの戦いが繰り広げられ、この夏に訪れたモンタナはインディアンの最後の砦だった場所。東西から建設が進められていた最初の大陸横断鉄道がユタ州でつながったのが1869年5月10日。

ペリーが黒船に乗って浦賀にやってきたのは1860年の少し前のこと(1853)。このときイギリスは産業革命から既に100年。アメリカも他の西ヨーロッパ諸国と同様に工業化を進展させていたものの、西部開拓により国土が拡大することに専念していたために他の先進諸国に比較して海外の植民地開拓は進んでいなかった。黒船来港は日本の視点からは「太平の眠りをさます」ものだったが、アメリカから見れば極東地域へのアクセスの確保という目的によるものだった。

ちなみにペリーが乗船していたサスケハナ号を造船したのはフィラデルフィア海軍造船所(Philadelphia Naval Shipyard)。フィリーズやイーグルスの本拠地が位置するスポーツコンプレックスのすぐ南に存在したアメリカ海軍最初の造船所。

そしてまさに1860年頃に人生のピークを迎えたのが坂本龍馬。そしてその前後に活躍した幕末の志士達。

幕末の志士

これはフルベッキ写真と呼ばれる有名な集合写真。オランダ人写真家、フルベッキを囲んで佐賀の致遠館の塾生を写したものとされるが、坂本龍馬・勝海舟・大隈重信・西郷隆盛・高杉晋作らも写っていると主張する人もいるようだ。

これが写されたのは1868年、すなわち明治元年のことらしい。明治維新以降、日本も西洋列強に遅れて工業化を進め、そして「坂の上の雲」に向かって突き進んでいく。

この時期、黒船に象徴される工業化の波は海外からに日本に押し寄せたが、逆に日本から海外に出ていったものといえば、まさに1860年の万延元年遣米使節。1854年の開国後の最初の公式訪問団。2月に出発した一行はサンフランシスコに到着後、パナマの陸地を汽車で横断、ワシントンでブキャナン大統領に謁見、さらにフィラデルフィアも6月9日から6日間滞在している。ということは、今住んでいるこの家は、勝海舟や福沢諭吉がフィラデルフィアに滞在していたまさにそのときに建てらていたのかも知れない。

それから当時日本から世界進出したのは、浮世絵に代表される芸術作品。1867年のパリ万国博覧会には江戸幕府が多くの美術品を携えて出展した(ちなみにこの当時の混乱を示すように、薩摩藩、佐賀藩も独自出展している)。ただ、この万博で初めて日本の芸術作品が注目されたというよりは、幕末の混乱に乗じて万博以前から多くの浮世絵や陶磁器がヨーロッパに輸出されて高い評価を受けていた。パリ市民からすれば、素晴らしい芸術を有しながらも世界から孤立する謎の国ジャポンが遂に国を開いてパリにやってきた、といったところだったか。

当時パリを中心に発生していたジャポニズムの衝撃は多くの芸術家に影響を与えた。19世紀末から20世紀初頭にかけて写実主義から抽象主義へと変化において、印象主義はその初期段階であると考えられているが、ジャポニズムはその印象主義への変革に決定的な作用を及ぼしたとされる。それまで絵画は写実的でなければならないとされた規範に対して浮世絵が与えた衝撃は想像に難くない。

昨夏にINSEADへの交換留学のために滞在したフォンテーヌブローは写実主義のひとつバルビゾン派が生まれた場所。またバルビゾン派にもその芽が見られるという印象派、特に後期印象派の作品は、ここフィラデルフィアが誇るバーンズ・コレクションが世界最高峰の展示をすることで知られる。つい先日両親を連れて訪れたが、ピカソの横にアフリカのお面を並べるような自由な展示をしながらも浮世絵が一枚としてないのはどういうことだろうね、と父がつぶやいていたが、それはジャポニズムが印象派に与えた影響を考えればまさにその通り。バーンズ博士はどうして浮世絵を一枚として買わなかったのだろう。

ちなみにフォンテーヌブロー城はナポレオン3世によるフランス第二帝政の舞台。そして、彼を甥に持つナポレオン・ボナパルトもパリから程近い狩猟地だったこの城にしばしば滞在している。

最近ホーキング博士がやっぱりタイムトラベルは実現可能だと発言して物議を醸しているそうだけど、もしどの時代にもいけるなら、1860年頃の日本なんて相当面白いだろう。そしてその当時に、この2年間で経験したように、アメリカとフランスの両方に留学できたとしたら、と考えるだけで身震いがする。
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2010/05/09(日) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(1)

バッファロー・ウィング(総集編)

この2年間、パブに飲みに行くたびに食べまくったバッファロー・ウィング。フィラデルフィアからまあ足を伸ばしていける範囲における勝手なランキング。

1位 The Jug Handle Inn

デラウェア川を渡った向かい側、NJ州の店。フィリー市内から車で20分ほど。タクシーで行く場合運転手が迷うこと必至。ただし苦労して行くだけの価値あり。いわゆるガラのそれほどよろしくない場末感・ローカル感たっぷりの店ながら、ウィングをウリにしているだけあって味は保証付き。ウィングの種類も他店にはないほど豊富。ガーリック味のちょっと辛めが最高。「HOT HOT HOT」なる最高辛度のウィングはCoCo壱番屋の5辛を遙かに超える辛さ。ビリヤードとダーツでも遊べる。深夜にタクシーを呼んで帰る場合は早めに呼びましょう。1時間以上待たされます。

NJ Wing

Rte 73 & Fork Landing Rd
Cinnaminson, NJ 08077
(856) 665-8696
http://thejughandleinn.com/

2位 North Third

以前ブログでも紹介した店

801 North 3rd Street
Philadelphia, PA 19123-2203
(215) 413-3666
http://www.norththird.com

3位 Irish Pub

ウォートン生なら常連になるのは間違いないこの店。ウィングも旨し。

2007 Walnut St
Philadelphia, PA 19103
(215) 568-5603
http://www.irishpubphilly.com/

3位 Fado

ウォートン生が多く住む1500 Locust 1階の店。Irish Pubながらフードも何でも美味しい。ウィングは甘めなBBQ味のみ。

1500 Locust St
Philadelphia, PA 19102-4305
(215) 893-9700
http://www.fadoirishpub.com/philadelphia/

番外 La Nova

数ヶ月前、バッファロー・ウィング発祥の地、NY州バッファローにウィングを食いに行こうという幻のプロジェクトがあった。諸般の事情で中止になってしまったが。その計画中、バッファロー出身のウォートンの友達が教えてくれた店。通販もあり。ウィング好きとして珈琲男と並んで知られるM宅で実際に食べてみたが、これも旨し。

371 West Ferry Street,
Buffalo NY 14213
(716) 881-3355
http://www.lanova.com

ちなみにバッファロー・ウィングが誕生したのは、バッファローにあるAnchor Barという店。いつか必ず訪れてみたい。




さて、日本に帰ったらどこで旨いウィングを食えるのか。開拓せねば。
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2010/05/08(土) | レストラン・カフェ | トラックバック(0) | コメント(2)

I like an arch

To express is to drive.
And when you want to give something presence,
you have to consult nature.
And there is where design comes in.

If you think of brick, for instance,
and you say to brick,
"What do you want brick?"
And brick says to you
"I like an arch."
And if you say to brick
"Look, arches are expensive,
and I can use a concrete lentil over you.
What do you think of that?"
"Brick?"
Brick says:
"... I like an arch."


-Louis Kahn
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2010/05/06(木) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

ドキュメンタリー映画「My Architect」を鑑賞してのつぶやき

ルイス・カーンの息子によるドキュメンタリー映画「My Architect」鑑賞。これまで見たどんなドキュメンタリーよりも深くのめり込んでしまった。ここフィラデルフィアそしてペン大は彼のゆかりの場所。あと2週間の間にいろいろ建築を見ておかなきゃ。フィッシャー邸には是非行ってみたい。



ちなみにルイス・カーンが心臓発作によりペンシルバニア駅のトイレで亡くなったのは1974年3月17日。私が生まれるほぼ2ヶ月前。



60年代にはルイス・カーンによるフィラデルフィアの都市再開発計画の話もあったのか。市内中心部には車両の進入を防ぐという大胆なアイデア。実現していたらこの街は全く違う姿をしていたことだろう。考えるだけでわくわくする。



ちなみに彼の事務所は1501 Walnutにあったそうな。まだ建物は残ってるな。今日見てみよう。



ペン大にはカーン設計によるリチャーズ医学生物研究棟があるけど、まだあれがどう建築的にすごいのかについて知識がない。何度も通っているけどそのすごさはよく分からない。



ルイス・カーンはペン大建築学科で、バーンズコレクションのあの白亜の建物を設計したポール・クレに師事。



「My Architect」を観て気付いたけど、ルイス・カーンという人もいるし、ルイ・カーンと呼ぶ人も同じようにいるのね。



「My Architect」の中で建築学科の学生に対して「煉瓦よ、お前は何になりたいんだ?」「私はアーチになりたい」「アーチにお前さんを使うのは高くつくんだぜ」「でも私はやっぱりアーチになりたい」とやりとりしてみせることで素材の本来のよさを生かすことの大切さを説く場面がもう最高。



煉瓦であろうと何者かになりたいものだ、というルイス・カーンの言葉は、映画「幸福の条件」のなかで、デミムーア演じる女性の旦那であるしがない建築家が学生に対して紹介する場面に出てくる。Even brick wants to be somethihng.



「My Architect」にはペン大やフィラデルフィアの風景がたっぷりと映し出されている。映画「フィラデルフィア」と並んでここにいるなら絶対に一度みるべきドキュメンタリー。自分がどんなものに包まれているかについての認識が一歩深まると思う。その感覚は自分にとってとても大切なこと。



ルイス・カーンは私生活は周囲の基準からすればもうめちゃくちゃだったのね。学生時代、京都のボロ下宿で一緒だった超有名ラーメン店の厨房に立っていた方がよく「何かの分野で一流になろうと思ったら、キチガイになるくらいじゃないとだめよ」と語っていたのを久しぶりに思い出した。



建築家になるオプションを結果として選択しなかったこと、自分には超一流になるだけの狂気が欠けていること、でも建築というものには自分の心をとらえて離さない何かがあること、それら全部を引っくるめて今の自分であること、そんなことを「My Architect」を観て感じた。



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2010/05/04(火) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(2)

MBA留学の7つ道具

そろそろClass of 2012の方々も現地入りの準備を本格化させているころだと思う。2年間を振り返ってこんなのが便利だったというものを参考までに。まあ7つじゃないけど語呂がよかったということで。


1. 日本から持ち込むべきモノ

参考書
MBA開始直後に履修するもの(ウォートンでいえば例えば統計学など)については、日本語の参考書があれば安心できる。ちなみに以前紹介したけど、統計学の初歩としてはこれがお勧め。

完全独習 統計学入門完全独習 統計学入門
(2006/09/29)
小島 寛之

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ただし、すぐに履修しないものは必ずしも日本から買って持ってこなくてもいいと思う。読んでる暇がないし実際こっちの教科書はよくできてるから、先輩から本の評判を聞いてからで十分かと。留学開始後に日本のアマゾンなどで買えば問題なし。といいつつ、日本語での参考書はいろいろ買ったから、ウォートンの方で興味のある方は個別に連絡下さい。

辞書
電子辞書は、実際には思っているほどは使う暇がないけど、なんだかんだと重宝するもの。それから意外に見落とすのが普通の辞書。試験によっては電子辞書はNGとされる場合もある。小さめのが一冊あると便利。

外付HDD
バックアップ用に。日本のモノが優れているという意味では全くなく、バックアップのやり方くらいは日本にいるときから慣れておいたほうがいい、という意味で。何事も超ハイペースで進むMBAで愛機が飛んだときの影響はものすごく大きい。Macなら、Carbon Copy ClonerでHDDを丸ごとバックアップしておくのが一番単純でいいと思う。いざとなれば外付HDDからブートすればいいし。

AppleCare
これはMacユーザについて。ちょっと高い買い物だけど、ちょっとした不具合にいつでも電話で対応してもらえる安心感は大きい。珈琲男は日本の窓口にスカイプ電話して事なきを得ることも何度かあった。ちなみにAppleCareの電話サポートは高いだけあってサービス品質が本当に高い。プレミアムセグメントのカスタマーサービスとして多くの企業の参考になると思う。

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バックパック
現地では両手が使えるバックパックがやっぱり便利。よほどバックパックが嫌いじゃなければ基本的に毎日使うことになるはず。でも、どうも現地で売ってるバックパックはイマイチ(な気がする)。


2. 現地で調達すべきモノ

プリンタ(複合機)
スキャナ、コピー機能はものすごく重宝する。

ポータブルカーナビ
ある程度現地でレンタカーやカーシェアリングを予定する見込みなら早めに買うのを勧めたい。機種毎に動作の癖があるから毎回違う機種をレンタルするのはストレスになる。一台もっておけばどんな車に乗り込んでも同じように使えてとても便利。行き先も事前に登録しておけるし。欧州に出かける予定があれば欧州マップが入っているものを購入しておくのも一考の価値あり。INSEADへの交換留学を前にして購入したけど、留学開始直後に買っておけばよかったというのが今からの振り返り。

椅子
買うのは当たり前じゃん、なんだけど、できればものすごくいい椅子を買いたいところ。毎日の予習や試験勉強にと、何時間も座り続けるから腰を痛める。珈琲男の場合、家具付きだったこともあり、留学開始直後は普通のダイニングチェアを使って勉強していたところ、腰が猛烈に痛くなってきたため、急遽アマゾンでHerman MillerのAeronというモデルを購入した。決して安くはなかったけど、これはこの2年の買い物の中でも特に価値があったと思ってる。2年間を通じての相棒、という感じ。

ちなみに現地調達として挙げた3つは、全部アマゾンなどの通販で購入可能。しかしアマゾンはこの2年間使いまくったな
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2010/05/04(火) | MBA | トラックバック(0) | コメント(0)

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