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インターネットの規制をめぐる考察(12)

最終回にしよう。休みに入って、どうもこの話題も自分に重く感じてきた(笑)。

Yoo教授のオフィスで過ごした1時間ちょっとの中で一番印象的だったのは、自身の信念を現実の政策に反映させようとする彼の姿勢だった。

ネットワーク提供事業者があるコンテンツやアプリケーションを優先的、排他的に取り扱うことをよしとする彼の議論は、現実の政策としてそのまま選択するにはハードルがなかなか高い。規制をできる限り排除して市場メカニズムを活用すればよいとするリバタリアン的な彼の議論は、そもそも市場の失敗の存在を大前提に議論を出発させている中立性論者にはなかなか受け入れられないのもよく分かる。そもそも中立性論者には、巨大なネットワーク提供事業者に対するそこはかとない不信感もある(Yoo教授自身、ネットワークの多様性の議論が十分に受け容れられない原因はここが大きいとも漏らしていた)。さらに、オバマ政権がネットワークの中立性を支持しているのも、彼の戦いを相当難しくしていることだろう。

ただYoo教授は、自身の信念を現実の政策形成プロセスとは程遠いところから吠えたりはしない。いかに自らの信じるところを現実の政策に反映させるかを、現実的に見据えている。外野スタンドから野次るのではなく、フィールドでガチンコの試合をしているわけだ。ネットワークの中立性の議論における試合とは、すなわちワシントンでの政治・政策論争だ。

FCCは2005年に、ブロードバンドサービスの提供における4つの原則を提示した。すなわち、消費者による、(1)合法的なコンテンツへのアクセス、(2)選択したアプリケーションの利用、(3)選択した端末の接続、(4)ネットワーク、アプリケーション、コンテンツの各事業者間の競争からの便益の享受、である。

さらにFCCは2009年10月、この4原則にさらに、中立性(ブロードバンドアクセス提供事業者によるアプリケーション、コンテンツの差別的取り扱いの禁止)と透明性(当該事業者によるネットワークマネジメントの内容の開示義務)の2つの原則を加えることを提案している。

今後のタイムラインは、Yoo教授の話によれば、2010年1月にFCC提案への意見書の提出期限があり、意見書の内容を踏まええた議論が続き、2010年夏頃には何らかの結論が出されるのではないか、ということだった。

彼は、このプロセスにおいて、自身が今暖めている次の論文を具体的にどのタイミングで発表するのが最も効果的なのかを彼のアドバイザーとともに検討中なのだという。普段のクラスでのリラックスした様子とはうって変わり、そんな戦術を話している彼の目に強く光るものが見えた気がした。しかも、そんなことを考えるのが楽しくて仕方ない、という様子だ。

今回のオフィス訪問では、自分が信じることの合理性を突き詰める学者の顔とともに、それを現実の政策に反映しようとする活動家としての彼のもうひとつの顔を見せつけられた思いがした。そして、アメリカのアカデミアの徹底した実学志向をここでも垣間見てしまった。

そうそう。Yoo教授は私が以前仕事でお世話になったワシントンの法律事務所に一時期所属されていたことがあり、ある案件で連日連夜私が電話会議をしていた弁護士さんとも知り合いなんだという。なんとも狭い世界だ。今年夏から日本にしばらく滞在してある大学で講座を持つ予定もあるという。また東京でお会いすることができそうで今から楽しみだ。

(終わり)
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2009/12/25(金) | インターネットの規制をめぐる考察 | トラックバック(0) | コメント(0)

インターネットの規制をめぐる考察(11)

ネットワークの中立性と地球温暖化について考えてみようと思う(お、いきなりだな)。

ネットワークの中立性が地球温暖化を防ぐ(又は助長する)、とかいった議論をしたいわけではない。まあ、例えば、ネットワークの中立性によって表現の自由と知性の流通が促され、それによって地球温暖化を防ぐための草の根レベルの活動がグローバル規模で発生する、とかいった相当うさんくさいプロパガンダくらいは一瞬で思いつくが。

この2つテーマに、実は共通点がある、という話。

共通点その1 = "precautionary principle(予防原則)"

危険が迫ってる。具体的にどうなるかは必ずしも明らかではない、でも、規制しないと、その結果は破滅的(catastrophic)なものになり、かつ、一旦そうなってしまったら元の状態に巻き戻すことができない(irreversible)。だから、予防的に規制をかけるべし

この論調はネットワークの中立性でも地球温暖化の問題でもよく聞かれる。前者においては、各ネットワークが一旦エンドツーエンド原則から離れてしまったら、インターネットが破綻してしまい、もとのよきインターネットに戻れなくなる可能性がある。だから事前規制すべし。後者なら、、って書くまでもないか。で、だからこそ事前規制すべし。

実は、Yoo教授も認めているが、この点がネットワークの中立性論者がネットワークの多様性の議論を攻める最も効果的なポイントだ。各ネットワークが独自のポリシーで運用を始めたら、もうインターネットではなくなってしまうじゃないの、と。

このポイントはまさにYoo教授にぶつけてみたかったことで、直接質問してみた。彼の考えは、実際問題としては、各ネットワーク提供事業者は、お互いにつながっていることで得られる便益があまりに大きいために、ネットワークの中立性を義務化しなくても自主的にある程度の相互接続性を今後も保つことは十分に予見できる、というものだった。それに、実際問題、各ネットワークのポリシーを変えるといっても基本的にはルータの設定を変えるだけのことだから、なんとなればすぐに戻せるじゃん、とも。これはちょっとあまりに簡単に聞こえるが、実際にはどうなんだろう。

共通点その2 = "framing(フレーミング)"

行動経済学とかコミュニケーションのクラスでも出てきたが、ネットワークの中立性も地球温暖化も、それに関わる人の心理においては、どういうフレームで問題を切り取るかが決定的に重要、という点で一緒。

地球温暖化(global warming )というか、気候変動(climate change)というか。ネットワークの中立性(network neutrality)に反対する、というか、ネットワークの多様性(network diversity)を推進するというか。いい方、伝え方ひとつで勝負が変わってくる。特にネットワークの中立性の議論においては、「中立性に反対!」というフレームは、明らかに不利な戦いを強いられるだろう。だってそんなの絶対ネガティブだもん。「ネットワークの多様性」をもっと全面的に押し出すべきだとクラスで学生にいわれてYoo教授も苦笑いしてた。
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2009/12/22(火) | インターネットの規制をめぐる考察 | トラックバック(0) | コメント(0)

インターネットの規制をめぐる考察(10)

前回示したネットワークの中立性とネットワークの多様性の議論の直接的な対立以外に、Yoo教授が実は何よりも重視しているのは、ラストマイル(アクセスネットワーク)における競争環境の実現だ。

実は、ネットワークの中立性の議論が生じているのも、そもそもの根本的な原因はアクセスネットワーク事業者の市場支配力が強過ぎることだ。つまり、仮にラストマイルの提供において競争環境が実現していれば、アプリケーションやコンテンツを差別的に取り扱ったところで大した問題にはならないわけだ。新聞と一緒で記事や論調が気に入らなければ別の新聞を購読すればいいというのと同じ話。

Yoo教授のネットワークの中立性における最も大きな懸念は、ネットワークの中立性が既存のラストマイルの競争環境を固定化する可能性だ。中立性論者は既存の競争環境が今後も継続するのを前提にどう支配的事業者に差別的な行為をさせないかという発想をする。支配的事業者の差別行為は事前規制されるが、新規参入のインセンティブはなく、十分な競争環境の欠如という根本的な問題は中立性規制が継続する限り解消しない。これに対してYoo教授は逆に、ネットワークの多様性を認めることで新規事業者がラストマイル市場に参入することを強く期待する。

Yoo教授が特に注目するのはDSL、ケーブルに続く第三のプレーヤー、無線提供事業者だ。Yoo教授のオフィスを訪ねていろいろ二人で話し合ったときに面白いなと思ったのは、"contestability"、"contestable market"という考え方だ(ここまで来ると日本語で何というか知らないな)。この理論は独占市場の規制についてしばしば言及されるらしいが、市場への参入障壁とともに退出コストに注目する。完全な"contenstable market"とは、参入と退出において何ら障壁のない市場を指す(この場合、"fit and run" entryが可能。ヤリ逃げ、とでもいうのか)。特に注目されるのは参入にあたって投じる費用が埋没費用(sunk cost)にならないという点だ。彼が無線提供事業者に特に注目するのも、無線事業者が新規参入するための投資、すなわち特定の周波数の電波のライセンス取得費用や電波塔の建設は、(固定通信の設備に比較して)市場退出後に第三者が別の用途に使える可能性が高く、従って埋没費用になる要素が小さいからだ。アメリカでは必ずしも用途別に周波数帯を厳しく取り決めなくてもいいのでは、という議論があるらしく(詳しくは知らないが)、仮にそんなことが実現すれば確かに無線事業者の新規参入に際しての投資が埋没費用化するのをかなり防ぐことになるだろう。固定費が埋没費用にならなければ、新規参入に際して獲得すべき顧客数も大幅に減り、それが新規参入を容易にさせる、とYoo教授は熱弁を振るっていた(というか彼はいつでも熱弁だ)。

実際問題として、無線事業でヤリ逃げ戦略が可能だ、なんていわれても、え、ほんまかいな、という反応が容易に想像できるけど、確かに筋は通ってる。仮に全米規模で概ね各家庭がDSL(及び場所によっては光ファイバー)、ケーブル、そして超高速無線を使えるような環境が実現すれば、ネットワークの中立性の議論も大きく変わるだろう。
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2009/12/22(火) | インターネットの規制をめぐる考察 | トラックバック(0) | コメント(0)

インターネットの規制をめぐる考察(9)

Internet Lawの3時間の期末試験が終わった。これにて秋学期のすべてのタスクが終了。MBAも4分の3が終わってしまった。年明けから帰国までは本当にあっという間だろう。

この試験までに完結させようと思ってたが、結局まだだらだら続いているこのシリーズ。そろそろ締めていこう。

ネットワークの中立性に反対する代表的な論客であるYoo教授は、このシリーズの(6)の最後で紹介したとおり、ネットワークの中立性を規制化する流れに対して、ユーザのニーズがますます多様化し、かつネットワーク関連の技術革新が次々に起こりつつある環境において、ネットワークの中立性の追求が社会全体のために本当にいいことなのかまだ明らかになっていない以上、少なくともそれが明らかになるまでは、事前規制によって網をかけるのではなく事後的にケースバイケースで対応しよう、と繰り返し主張してる。ネットワークの中立性にも問題があり、逆にネットワークの多様性にも利点があり、(自分としてはネットワークの多様性の価値を信じるが)総合評価は今の段階では明らかになっていない、という論法だ。

ただ、問題をややこしくしているのは、この「総合評価」における評価軸がそもそも立場によって一致していないことだ。多様性論者が主として経済的な価値の側面から議論を展開するのに対して、中立性論者はそれに加えて非経済的な価値を議論の俎上に載せる。すなわち、人間の創造性、言論の多様性、文化の発展、といった価値だ(レッシグならここに民主主義の確保だって加えるだろう)。さらに、中立性論者の一部にはともすると古き良き時代のインターネットへのある種のノスタルジーがあるようにも感じられる。

ここではそれらの非経済的な価値観をひとまず横においておいて、経済的な観点から両者の対立軸を明らかにしてみようと思う。主たる対立軸は、「垂直統合の効果」「価格差別の妥当性とインフラ投資のインセンティブ」だろう。一応Yoo教授のクラスを受講した立場で、ネットワークの多様性論者の理屈に少し軸足をおいてみる。

1. 垂直統合の効果
ネットワークの中立性の提唱者たちは概ね、アクセスネットワーク提供事業者によるアプリケーションやコンテンツ市場への関与を制限ないし禁止する方向で議論を進める。そのロジックは、ネットワーク事業者(特にラストマイルを提供するアクセスネットワーク提供事業者)が自らの市場で有する支配力をもってアプリケーションやコンテンツ市場をコントロールし、当該市場での競争環境を劣化させる可能性が高い、というものだ。具体的には特定のアプリケーションやコンテンツへのアクセスをブロックしたりアクセスのための帯域を制限するといった行為が念頭に置かれている。代表的なケースとしては、地域電話会社であるMadison River社が自らの電話サービスと競合するVoIPサービスをDSLアクセスから遮断したことが問題とされ、FCCから制裁金の支払いを命じられた。

これに対して反トラスト法にも明るいYoo教授は、垂直統合自体はそれほど懸念するものではなく、むしろその利点がもっと評価されるべきだと主張する(もっともYoo教授もMadison River社のようなあからさまな差別行為を支持しているわけではない)。

その前段として、そもそもアクセスネットワーク事業者にアプリケーション・コンテンツ市場を支配するインセンティブ自体がない、と論じる。すなわち、シカゴ学派の"one-monopoly-rent theorem(単一独占利潤定理)"が説明するとおり、バリューチェーンのある部分を構成する市場において独占の立場にある者にとっては、独占からの利潤を得られるのは結局自らが独占の地位にある市場だけだから、垂直統合によって下流市場に進出しなくとも、自らの市場で価格を釣り上げれば利潤の最大化は達成できる、という理屈だ。つまり、アクセスネットワーク提供事業者が本当にアクセス市場で独占の立場にあるなら、わざわざアプリケーションやコンテンツの市場に進出しなくても、その市場のプレーヤーにアクセス回線を高く売りつければ同じだけ儲かるわけだから、そもそもアプリケーションやコンテンツ市場に出ていくインセンティブはないでしょ、ということだ。

さらに、そもそもアクセスネットワーク提供事業者は今や独占の地位にない、とも論じる。今やDSL提供事業者とケーブル事業者はブロードバンドアクセスで競合している。さらに無線によるブロードバンド回線が提供されつつあるなかで、アクセス回線提供事業者を独占事業者と見なすこと自体がおかしい、と(市場の線引きをどう行うかといった細かい議論がさらに続くがそれは割愛)。また、進出する先の市場(アプリケーション・コンテンツ市場)に参入障壁がないため、(インセンティブがないにも関わらず)進出して進出先の市場でビジネスを成功させれば、結局その事実自体が新規参入者を呼び込んで競争環境が作られることになる、とも主張する。実際、アクセスネットワーク事業者は必ずしも合理的ではなく、単一独占利潤定理に反してアプリケーション・コンテンツ市場に進出する可能性は否定できないから、このロジックも非常に重要だろう。

一方で、垂直統合のメリットとして、効率性の達成が挙げられる。"double marginalization(二重限界性)"の解消や、取引コストの削減などがその代表的な例だ。さらに、垂直統合によりアプリケーション・コンテンツとネットワークが高次元で統合されたサービスが提供されることも考慮に入れるべきだとする。これは、ユーザのニーズが多様化する環境においては特に意味を持つポイントだ。

2. 価格差別の妥当性とインフラ投資のインセンティブ
アメリカではインターネットのインフラ整備が他の先進国に比較して遅れ気味であることが大きな問題としてしばしば取り上げられる。Daiquiriさんからは、ハーバード・ロースクールののBerkman Centerによる"Next Generation Connectivity: A review of broadband Internet transitions and policy from around the world"と題された報告書(現段階ではドラフト)の存在を教えていただいた。各国のブロードバンドの普及状況と政策を俯瞰するためのこの報告書においても、やはりアメリカのブロードバンド普及状況は「middle-of-the-pack(凡庸)」だと結論づけられている。
http://www.fcc.gov/stage/pdf/Berkman_Center_Broadband_Study_13Oct09.pdf

ネットワークの多様性の推進論者は、この立ち遅れたインフラ整備のためのインセンティブをネットワーク提供事業者に与える方策としても、自らの提案が優れていると主張する。最も効果が高いのは、ネットワーク提供事業者の顧客への課金に柔軟性を与えることである。具体的には、エンドユーザーの支払額に応じた帯域の区別(コンシューマー・ティアリング)、アプリケーション・コンテンツ事業者に対する従量課金、そしてアクセス・コンテンツ事業者からの支払額に応じた優先的取り扱い(アクセス・ティアリング)が挙げられる。

このアクセス・ティアリングは、ネットワーク提供者のインフラ投資インセンティブを特に高めるとされる一方、ネットワークの中立性の推進者からは最も標的にされている(中立性論を最も熱心にサポートする企業がグーグルであることを考えれば当然だ)。

これに対して、Yoo教授はさらに、"two-sided market(市場の二面性)"の理論からもアクセス・ティアリングが正当化されると主張する。この理論は、ネットワークへの参加者が単一のクラスではなく、複数のクラスからなる場合(例:クレジットカードにおける一般顧客と商店、検索サイトにおける一般ユーザと広告主)のネットワーク効果を説明する。すなわち、ネットワーク市場に二面性があり、ネットワーク参加者が複数のクラスから成る場合は、ある参加者にとってのネットワークの価値は同一クラスの参加者の数に依存するのではなく、異なるクラスの参加者の数に依存する、というものだ。確かに、クレジットカード保有者にとっては他のクレジットカード保有者の数は(少なくとも直接的には)問題にならず、カードが利用できる商店の数こそがネットワークの価値を決定する(逆も然り)。また、検索サイトにおいては、広告主は他の広告主の数よりも、その検索サイトで検索するユーザの総数こそが検索サイトの価値を決定する要因になるだろう。

ここからYoo教授は、アプリケーション・コンテンツ事業者にとってのネットワークの価値がエンドユーザの数にあるならば、エンドユーザのネットワーク利用料金を実質的に負担することも自らの利益に適う行為だろう、と論を進める。つまり、ネットワーク提供事業者が相対的にエンドユーザへの課金を減らし(理論的にはゼロにすることもありうる)、代わりにアプリケーション・コンテンツ提供事業者への課金を増やすことで実質的にエンドユーザにかかわるコストを負担することも、結果としてアプリケーション・コンテンツ提供事業者の合理的な選択になりうる、と。実際、インターネット関連のサービスが広告収入を見込むことで無料化されつつある現状は、このYoo教授の考え方をサポートするものだとも考えられる。

以上のとおり、価格差別を広く認めることがネットワーク事業者のインフラ整備のインセンティブを喚起するというのがネットワークの多様性論者の理屈だ。

一方、ネットワークの中立性論者は、このインフラ投資インセンティブを十分に喚起できないという点がその弱点になっている。彼らは、"unlimited bandwidth(無限の帯域)"がそのうちに実現するという楽観論を提示したり(レッシグなど)、政府による何らかの関与を積極的に認めることでインフラが整備されるというシナリオを描く。ただし、現在の爆発的な需要の伸びに果たして効果的に対応できるのかについての疑問が残る。もっとも、例えば欧州のように、公的資金を広く活用することでインフラの整備を図るという手段もあるが、自由競争を尊ぶアメリカにおいては公的資金に頼ったインフラ整備を社会的に合意することは容易ではないだろう。

うーん、今日の試験でもこれだけ書けたらよかったけど・・・・。JDの奴らはスラスラ書いてたな・・・。

ちなみに、今回の議論は、Yoo教授が最近出した著書にも詳しい。

Networks in Telecommunications: Economics and LawNetworks in Telecommunications: Economics and Law
(2009/06/08)
Daniel F. SpulberChristopher S. Yoo

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(続く)
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2009/12/21(月) | インターネットの規制をめぐる考察 | トラックバック(0) | コメント(2)

インターネットの規制をめぐる考察(8)

質問があるから時間をいただきたいとお願いしたYoo教授と、たっぷり1時間を超えていろいろ話すことができた。その話はまた別の機会に。

その晩は一つ下の学年のウォートンの日本人学生の方々と街中のバーで飲むことになっていた。一応今年のJapan Trekに関する話を名目にしたセッティングだったが、結局たわいもない話で盛り上がった。期末試験もほぼ終了モードだから、馬鹿話がまたいつも以上に馬鹿馬鹿しくてよかった。

帰ったら、何故か映画「フィラデルフィア」が無性に見たくなった。最高のシーンだけ、チャプターで選んで何度か繰り返し見てしまった。もう何回も見ているシーンだ。エイズを理由とした不当解雇を問う裁判における法廷での最高の見せ場だ。

Q. All right, um, are you a good lawyer, Andrew?
あなたは優秀な弁護士でしたか?

A. I'm an excellent lawyer.
とてもね

Q. What makes you an excellent lawyer?
どんな風に
 
A. I love the law. I know the law. I excel at practicing.
法を愛し
法を知ってる
実践にも優れてた
 
Q. What do you love about the law, Andrew?
法を愛するとは?

A. Many things. What do I love the most about the law?
色々です
法の一番好きな所? 

Q. Yes.

A. It's that every now and again, not often, but occasionally, you get to be a part of justice being done. That really is quite a thrill when that happens.
年中というわけではないが
たまに
あなた自身が正義の
一部になれるのです
それは
素晴らしい感動です


Q. Thank you, Andrew.
ありがとう


法が完全だとは思わないし、正義が何かは簡単には分からない。ただ、何が正しいのかを突き詰めて考えることの大切さを、このシーンはいつも思い出させてくれる。
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2009/12/19(土) | インターネットの規制をめぐる考察 | トラックバック(0) | コメント(0)

インターネットの規制をめぐる考察(7)

またちょっと違う話題を。

これはペン大のメインの図書館内部。ほとんど足を踏み入れないけど、先日チームでのミーテイングがここで設定されたから久しぶりに入館した。

IMG_0347(変換後)

200メートはあろうかという横長の建物に収容された数々の書物。本棚の回廊をずっと歩いて指定の部屋に向かう間にすっと考えていたのは、あの古びた本に最後に人が触れたのはいつなんだろう、ということだった。3年前かもしれないし、30年前かもしれない。そして、次に触れられるのはいつなのか。もしかしたら30年先なのかも、場合によっては永遠にやってこないのかも知れない。

この膨大な知識の蓄積将来的な検索可能性の保証こそ、大学図書館が伝統的にもってきた価値なんだろう。

今となっては、随分と無駄に思える。もちろんその価値そのものではなく、その実現方法がだ。保管スペースの無駄、紙(パルプ)という資源の無駄といった物理的な無駄も大きいが、なによりせっかくの情報がそれを必要とする人に容易にリーチしないという検索可能性の非効率という無駄が大きい。自分が既に死んでいるとして、自分が全身全霊を注いで問うたテーマが文章化されているとすれば、それを大学図書館の片隅の本棚に残すよりも、誰もが検索できる電子的な形で保管することを自分なら望むと思う(自動的に翻訳されてそれが言語の限界を超えて世界の人々に読んでもらえるなら、なお素晴らしい)。グーグルの電子図書化の取り組みはまさにそんな問題意識から出てきたものだろう。

逆の方向での議論もある。

著作者の創造性を発揮するインセンティブが減じられることが著作権を正当化する論理だとされる。いきなりパクられる可能性があるなら、なんでそもそも創作活動などに関わるんだよ、と。そして、著作物を電子的に保管して検索可能性を担保するなんて、この著作権の侵害を助長すること以外のなにものではない、と、続く。

これもまさにトレードオフの関係だ。そしてそのトレードオフの関係は、ユーザの需要の変化とテクノロジーの進化によりダイナミックに変りつつある法律や規制はある一時点のトレードオフの関係における取引を安定的に行うことを保証するが、ダイナミックな変化における新しい均衡の成立を阻害する要因にもなる

ネットの中立性とともに、実は著作権も勉強しておきたいテーマの一つ。ロースクールで取ろうと思ったが、時間割があわずに断念した。この冬の間に何か一冊でもちゃんとした本を読もうと思っている。

(続く)
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2009/12/17(木) | インターネットの規制をめぐる考察 | トラックバック(0) | コメント(4)

インターネットの規制をめぐる考察(6)

Daiquiriさんからタイムリーなコメントをいただいた。ちょうど何となく書こうかと思っていた方向だから、それを足がかりに。

e2e原則の根拠の一つとして、(1)エンドポイントでソフトウェア等を開発する者はエンドポイントだけを見れば足り、ネットワークとの関係でそのソフトウェア等が動くか心配する必要がない、(2)技術的に色々な層の心配をする必要がないので、より多くの人の参加がエンドポイントでの開発に参加でき、これがエンドポイントレベルでのイノベーションを促進する、ということが言われると思います。


ネット中立性の議論においてe2e原則を規制化しようとする人々は、レッシグも含めて、確かにそのポイントを挙げている。

実際、それこそがインターネットがこれまで発展してきた大きな要因の一つであることは間違いない。世界中のネットワークの「ロジック層」をシンプルなプロトコル(TCP/IP)でつなぐことにより、地球上のいかなる2地点間でもパケットの転送を実現する巨大なネットワークを作ってしまうなんて、本当にものすごいイノベーションだと思う(ARPANETの開発者が何をどこまで意図していたかは別にして)。ネットワーク側がシンプルかつ統一された原則で設計されることによりエンド側のイノベーションが促されたことも事実だし、シンプルな原則がネットワークの接続容易性を促して結果として世界中の人々に超低コストのコミュニケーションの手段や表現の機会を与えたことも事実だ。今更ながら全くもってスゴイことだと思う。インターネットに何らかの形で関わる人なら、これらの歴史を振り返ることでインスピレーションを得ることも少なくないだろう。

一方で、その逆に、

ネットワークを多様化すると必ずエンドポイントの開発者がネットワークを気にする必要が出てきてしまうのかな


というのも事実だろう。単に気にする必要が出てくるだけではなく、「ロジック層」にネットワーク提供事業者が所有権を有するプロトコルが使われた場合、そのプロトコルを学習するとか、(場合によっては)ライセンス料を支払うとかといったコストがアプリケーション開発者に発生することになる。エンドユーザの立場からすれば、アプリケーション開発者のコストが転嫁されることに加えて、インターネットの相互運用性が減じられること(e.g. 場合によってはうまく通信ができないこと)のコストを負担することにもなる可能性もある。

そこで考えを止めると、じゃあやっぱりe2e原則を規制化してでもインターネットの設計ポリシーとして保持していくのってありじゃない、と結論が出てきてもおかしくない。

でも、「ネットの中立性」に反対する人々は、e2e原則を規制化することが、インターネットに関連する今後のイノベーションの促進にとってもっとも望ましい政策なのか、そして、ユーザの多様なニーズにもっとも効果的に応えうる政策なのかを真に問うべきだと主張する。さらには、今後の需要の伸びに見合うだけの持続的な投資インセンティブをネットワーク事業者に与えられるか、というポイントもある。

要するに、「ネットの中立性」の問題には、トレードオフが内包されており、その関係を明らかにしないと、本当に意味のある議論はできないのだと思う。立場によって、前提条件、理論、そして最終的な目標がほとんど統一されていないのも、この議論がある意味混迷している理由だと思う

バークレーで経済学の博士課程のRionさんは、こうコメントして下さった。

ネットワーク中立性に関する問題の一つはレッシグの主張が数理モデルかされていないことです。自由なアーキテクチャーがイノベーションを推進することは感覚的には明らかなのですが、経済モデルとしては確立されていません。そのため費用便益分析ができません。


確かに、レッシグを含めて、ネット中立性を提唱する人々がその全体としての費用便益を数理的に明らかにしたうえでその主張を展開しているとは言いがたい。実際、誰もそれに手を付けられずにいるのかどうかまでは知らないけど、ものすごく難しいモデルであるのは確かだろう。

一方、「ネット多様性」を主張するYoo教授も、その主張における費用便益を数理化できてはいない。ネット中立性を規制化しようという大きな流れに対して、それが社会全体のために本当にいいことなのか実際には分からないことなんだから、少なくとも事前規制はやめて事後的にケースバイケースで対応しよう、というが彼の主張だ。そして、全体モデルを提示できないものの、「ネット中立性」の正当性を減じるような切り口をいくつも挙げている。

それの切り口については、多分次のエントリーで。

(続く)
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2009/12/17(木) | インターネットの規制をめぐる考察 | トラックバック(0) | コメント(2)

インターネットの規制をめぐる考察(5)

ちょっと違う話題を。

思ったよりInternet Lawの期末試験の準備が進まない。どうもロースクールとビジネススクールでは勝手が違うようだ。ロースクールでの今回の試験は、「●●について論ぜよ」といったエッセー形式で3~4問出されると聞いている。時間は3時間。結局時間内に書く文章の質と量の勝負になるから、英語力の差がビジネススクールの試験よりもよりダイレクトに効いてくる。LL.Mの学生の場合、英語が母国語でなければ試験時間を1時間ほど延長してもらると聞いていたが、どうもロースクール外の学生にはこのアレンジは適用されないらしい。

経済学やテクノロジーが絡むかなり特殊なクラスでだけに特に相談する人もいないから、思いつくまま、今更ながらにせっせとノートを作っている(そういえば他の学生はみんな授業中にPC/Macで必死にノートを取っていたっけな)。クラスでカバーした内容を小分けにして、項目ごとにポイントを抑えつつ文章化しておく。試験でのお題に合わせて、ある程度の構成を考えたうえでこのノートから文章を切り貼りして回答してやるか、という戦略(ちなみに紙ベースのものは何でも持ち込んでいいことになっている)。このやり方がスマートなのかどうか分からないけど、まあ最初で最後のロースクールの試験だから思いつくままやってみるしかない。

こうしてノートを作っていると、つくづく自分は文章で頭を整理するタイプだと思う。大きなポイントをごく大雑把につかむのはそれ程遅くないとは思うけど、その内容をちゃんと説明しようと思うと手間取ることが少なくない。どうも何かをちゃんと説明しようと思うと、一度文章化してみないとうまく考えをまとめられないタチのようだ。

ノートを作る中で疑問が次々に出てきたから、Yoo教授にアポイントを取った。

ネットの中立性の議論は考えれば考えるほど本当に面白い。ミクロ経済から競争・企業戦略論までビジネススクールでの学びをかなりダイレクトに使えることもその要因だろう。インターネットの根本的なあり方を問うようなスケール感に魅かれるところもある。さらに、一流の学者が一流のペーパーで議論を戦わせているというもの知的好奇心を強く刺激する。でもこの議論の一番の魅力は、インターネットに関わるプレーヤー全体の経済効率性を単に問うだけではなく、インターネットのどんな形がイノベーションをより促すことができるか、そして人間の創造性や文化の発展に寄与できるか、という、随分「前向きな」イシューを内包していることだと思う。

(続く)
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2009/12/17(木) | インターネットの規制をめぐる考察 | トラックバック(0) | コメント(0)

インターネットの規制をめぐる考察(4)

前回の続きを。

「エンドツーエンド」原則を守るかどうかと「ネット中立性」規制を設けるかどうかの、合計4つの組み合わせにおける最後のパターン。

D: e2e原則を守らない/ネット中立性の規制を設けない
ネットワーク設計としてe2e原則に縛られる必要はなく、ネットワーク内部に追加的に各種コントロール機能を実装させることはネットワーク提供事業者の判断に委ねられるべきだ。それらの機能を利用して、(既存の法律や規制が許す範囲において)ネットワーク提供事業者がアプリケーション等の優先的な取り扱いを行うことを少なくとも事前に規制しない。問題が発生すれば、司法がケースバイケースで事後的に規制すれば足り、むしろそれが望ましい。

これはまさにYoo教授が強く主張するポリシーだ。「ネットの中立性」に反対する、というフレームだとどうも直感的に否定的な反応をしてしまいがちだが、彼はむしろ「ネットの多様性(Network Diversity)」を推進する、という言い方をすることも多い。

彼は、e2e原則をインターネットに強制的に適用することを正面から否定する。論旨は以下のとおり。

● 古典的なe2e原則を拡大解釈してはならない。e2e原則のソースとして引き合いに出されるSaltzer、Reed、Clarkによる「End-to-end arguments in system design」においても、e2eの議論は絶対的なルールというよりも、ガイドラインとして位置づけられている。("Thus the end-to-end argument is not an absolute rule, but rather a guideline that helps in application and protocol design analysis")

● e2eに関する議論は、費用対効果の分析を離れて、イデオロギー闘争に入りがちである。

● e2e原則の推進者は、必ずしも信頼性(reliability)と性能(performance)のトレードオフを十分に考慮していない。またこのトレードオフは、ネットワークに対する需要の変化によってダイナミックに変わるものである。

● e2e原則は一部のアプリケーションとの間では不整合が生じている。具体的には、リアルタイム性を必要とするようなアプリケーション(VoIP、ビデオチャット、オンラインゲーム)、帯域を大きく消費するようなアプリケーション(ビデオストリーミング)などである。

● インターネット上で提供されるサービスの中には、セキュリティ拡張性をより必要とするものがあり(例:電子取引)、これはネットワークに知性を与えることを正当化する需要側の変化である

e2e原則を規制によって強制することは、結果としてインターネットをこの原則に適した一部のアプリケーションの側に歪曲させてしまう危険性をはらんでいる

Yoo教授のこれらの主張は、ここに詳しい。
Christopher Yoo "Would mandating broadband network neutrality help or hurt competition? A comment on the end-to-end debate"
http://papers.ssrn.com/sol3/papers.cfm?abstract_id=495502

(続く)
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2009/12/16(水) | インターネットの規制をめぐる考察 | トラックバック(0) | コメント(5)

インターネットの規制をめぐる考察(3)

前々回のエントリーのコメント欄に、Daiquiriさんから「エンドツーエンド」の原則と「ネット中立性」の規制の議論って分けて考えられるのでは?」という趣旨のコメントをいただいた。せっかくだから、その問いから考えを広げてみようと思う。

まずは、逆に、「エンドツーエンド」と「ネット中立性」を組み合わせて議論する人たちの主張を想像してみたい。実はこの2つは非常に親和性が高い。ごく単純にいってしまいえば、こんなところだろうか。(なお一応念のため、これは「エンドツーエンド」と「ネット中立性」を組み合わせるとすればこういうロジックになるだろうという珈琲男の想像で、誰かの具体的な主張を引用しているわけではない。)

● エンドツーエンド原則を守るということは、ネットワークをシンプルに保ち、ネットワーク内部に過度な知性を与えることを拒否することを意味する。ネットワークに知性がなければ、そもそもネットワークがアプリケーションやコンテンツを差別することは技術的に起こりえない。従って、エンドツーエンド原則こそネットにおいて中立性を担保するための技術面での基礎となる考え方である。

● ただし、「エンドツーエンド」原則は法律でもなんでもない。一応インターネットに関わる少なからぬ人々の「信念」なり「規範」にはなっているけど、別に法的な強制力はない。だからこそ、アプリケーションやコンテンツが差別的に取り扱われないように「ネット中立性」の規制を設け、中立性の技術的な担保のために、「エンドツーエンド」原則に基づくネットワーク設計のポリシーを当該規制のなかに盛り込む必要がある。

ちょっと頭の体操で、いただいたコメントを正面から考えてみようと思う。「エンドツーエンド」原則を守るかどうかと「ネット中立性」規制を設けるかどうかを、合計4つの組み合わせで考えてみる。それぞれ何を主張することになるか。一応ある程度現実感のある議論のために、

「エンドツーエンド原則を守る」とは、少なくとも現時点でインターネットに一般的に実装されている以上のコントロール機能を「ネットワーク層」と「トランスポート層」(=合わせてほぼレッシグのいう「コード層」に相当する)に一切盛り込まない、というネットワーク設計上のポリシーをネットワーク提供事業者が(自主的に)守ること

「ネットの中立性の規制を設ける」とは、既存の法律・規制の規定の枠組みを超えて、ネットワーク提供事業者が利用者、アプリケーション、サービス、コンテンツ毎に異なった取り扱いをすること一切を事前に規制すること(ただし、現在の議論の主流がそうであるように、ネットワークの運用を管理するための最低限のコントロールまでは規制しない)

をそれぞれ意味することにしてみよう。

A: e2e原則を守る/ネット中立性の規制を設ける
これは概ねレッシグ教授らの主張に近い選択肢だといえる。ネットワークの(「コード層」の)設計は引き続きシンプルにして過剰なコントロール機能を盛り込まない。さらに、ネットワーク事業者によるアプリケーション等の差別的取り扱いを規制する。規制の具体的な枠組みはいろいろ考えられるが、ネットワークの具体的な設計ポリシーにまで踏み込んでエンドツーエンド原則を強制することまでを視野に入れることもあり得る。「コード層」が「イノベーション・コモンズ」を作っているから、コード層がフリーな状態に保たれるように(国が)規制すべき、というレッシグの主張は、本質的には、エンドツーエンド原則の根本的な考え方をネットワークの基本設計として法的に強制すべきといっているのに近いものだと考えられる。この選択肢は、ネットワーク事業者がアプリケーション等に異なった取り扱いをすることを最も確実に排除するものだといえる。

B: e2e原則を守る/ネット中立性の規制を設けない
ネットワークの設計ポリシーとしてはe2e原則を尊重して現在のインターネットに実装されている以上のコントロール機能を盛り込まないこととする。ただし、ネットの中立性の規制は設けない。極論すれば、(既存の法律や規制が許すかぎりにおいて)ネットワーク事業者がアプリケーションやコンテンツをネットワーク上において異なる優先順位で取り扱ったり、ネットワークの利用について異なる料金を課しても構わないこととする。この場合、そのようなネットワーク提供事業者のビジネス上の意図の実現は、e2e原則が遵守される限りにおいて技術的にかなり制限されることになる。一方で、e2e原則は法的に強制されるものではない。従って、ネットワーク事業者は、その利益に適うかぎり、(e2e原則から外れるコントロール能力をネットワークに実装することにより)アプリケーション等を異なる優先順位で取り扱う可能性がある(もちろん既存の法律・規制の枠組みにおいて)

C: e2e原則を守らない/ネット中立性の規制を設ける
ネットワークの設計ポリシーとして、現在インターネットに実装されている以上のコントロール能力を技術的に与えることをよしとするが、規制によりネットワーク提供事業者がアプリケーション等の優先的な取り扱いを禁じる。ネットワーク提供事業者は、アプリケーション等を優先的に取り扱うような事業の展開をそもそも規制されているわけだから、それを実現するための技術開発にそれほど熱心にならないだろう。従って、結果としてe2e原則が守られることになるだろう。Aと同じような結果になるが、その技術面での縛りが相対的に緩いという選択肢だといえる。ネット中立性提唱者の最も重要な人物の一人として知られるコロンビア大学のTim Woo教授は、e2e原則を守らなくてもいい、とまではいっていないものの、e2eはあくまで原則(principle)に過ぎないといっていることからすれば、このカテゴリーに入れてもいいかも知れない。

D: e2e原則を守らない/ネット中立性の規制を設けない
実はこれがYoo教授の立場。ちょっと長くなったから、その主張の内容はまた次回に。

もう秋学期は残すところこのクラスの試験だけだから、一日中でもこんなことを考えていられる。

(続く)
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2009/12/15(火) | インターネットの規制をめぐる考察 | トラックバック(0) | コメント(0)

インターネットの規制をめぐる考察(2)

ちなみにYoo教授によるInternet Lawのクラスは、こんな構成。

I. Historical overview of the antecedents of the Internet (ARPANET and NSFNET)

II. Early regulation of the Internet
 A. The computer inquiries and the regulatory rationales
 B. The Telecommunications Act of 1996 and unbundling
 C. Classifying broadband

III. Emerging regulatory issues
 A. Voice over Internet protocol (VoIP)
 B. Backbone regulation
 C. Network neutrality I
 D. Network neutrality II
 E. Internet access and the First Amendment
 F. The role of antitrust

IV. Emerging content-related issues
 A. Pornography
 B. DMCA and ISP immunity
 C. Peer-to-peer filtering
 D. Google

(続く)
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2009/12/14(月) | インターネットの規制をめぐる考察 | トラックバック(0) | コメント(0)

インターネットの規制をめぐる考察(1)

約6週間、週3回にわたったペン大ロースクールでの講義、Internet Lawが先週終わった。ネットの中立性議論のスペクトラムにおいて、もっともそれに反対する立場で論陣を張るChristopher Yoo教授のクラス。ラディラルな立場に触れるというのは、物事の本質がより分かるという好例だったように思う。落としどころをすぐに探るような軟弱な議論では結局真理に至れないということを改めて思い知らされるような講義だった。

その期末試験が来週行われる。

試験対策というよりも、インターネットの在り方に関する純粋な関心から、講義を少し振り返って日々ブログしてみようと思う。全体を体系的に設計して書くことを全く意図しないで書くつもりなので、これからどう展開するか分からないけど。

どこから始めようかと思ったけど、まずは有名なこの本から。ロレーンス・レッシグ著「コモンズ」以前ブログでも紹介したレッシグは、ネットワークの中立性を擁護する立場で知られる。

コモンズコモンズ
(2002/11/30)
ローレンス・レッシグ

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この本における彼の主題は、インターネットと、それが商業・非商業のイノベーションや創造性に与える影響について。インターネットのある特性を、誰からも(政府からも、市場からも)コントロールされないという意味での「フリー」な状態に保つことが、イノベーションや創造性の発展とって重要であると主張する。また、彼はその考え方を、ネットワークのレイヤー(層)に分けて議論を展開する。すなわち、いちばん下の「物理層」、真ん中の「論理層」または「コード層」、そして一番上の「コンテンツ層」の3つ。

ここでは、「コード層」における彼の主張をまとめてみようと思う。

1. すべての社会はフリーなリソースと、コントロールされたリソースとを持っている。ここで「フリー」というのは、「無料」という意味ではなく、i) 人がそれを他の人の許可を得ずに使えること、または、ii) 必要とされる許可が中立的に与えられることをいう。

2. これらのフリーなリソースを「コモンズ(共有地)」と呼ぶことにする。「コモンズ」の例としては、アインシュタインの相対性理論やパブリックドメインにある著作物が挙げられる。なお、「コモンズ」にあるリソースには経済学でいうところの競合的なリソースと非競合的なリソースの両方を含み、その別を問わない。

3. この「コモンズ」がイノベーションや創造性にとってきわめて重要である。そしてインターネットはイノベーションのコモンズを形成する

4. インターネットにおけるコモンズは、規範によって形成されるだけでなく、技術的なアーキテクチャ、具体的には、インターネットの「end-to-end(e2e)=エンドツーエンド」設計を通じて形成される。これは、ネットワークにおける知性はエッジ(終端)、つまりアプリケーションに置いて、ネットワーク自身はデータ転送のみを取り扱い、比較的単純にしようという考え方である(dumb pipe=バカなパイプ論)。

5. この「e2e」原理こそがインターネットの最大の成功要因だったといえる。このアーキテクチャがインターネット上のイノベーションを可能にした。その理由は、i) アプリケーション開発者はネットとの接続性以上のことを考慮することなくアプリケーションのイノベーションのみに集中することができ、ii) ネットワークはその初期の設計者が想定していなかったアプリケーションにも開放されており、iii) そしてアプリケーションやコンテンツに中立的だからである。

6. インターネットの初期の設計者が「e2e」を基本設計として選択したのは、将来的にインターネットがどのようなアプリケーションに利用されるかについて予測ができなかったためである。逆にいえば、賢い、インテリジェントなネットワークを設計することにより、ある種の利用方法には最適化されるが、それが高度化されているが故にもともと想定していなかった別の利用方法を制約してしまうという事態を避けることをあえて選択したのである。

7. ただし、e2e(=知性はエッッジに、ネットワークはシンプルに)という当初のインターネットの基本設計が将来的にも担保されているとはいえない。実際、e2e原理にも代償はある。例えば、一部のアプリケーションはリアルタイム性を必要とするため(例:インターネット電話、ビデオチャット)、サービス品質が保てない問題が顕在化している。この問題への対応として、「Quality of Service (QoS)」と呼ばれる機能がインターネットに備えられるようになった。これは、ネットワークがアプリケーションごとにどのクラスのサービスを受けるべきかを判断し、クラスごとに予め定められた優先的な取り扱いをするものである。こうした追加機能は、あるアプリケーションやコンテンツを差別的に取り扱うという意図せざる危険性をはらんでいる

8. 一方で、基本的に無限の帯域性が確保されれば、ネットワーク上のコントロールを増やすことをとどめることは可能だともいえる。ただし、民間のプレーヤーが無条件にインフラに投資し続けることは考えずらい。むしろ彼らがインフラプロジェクトから利益を得るのは、そこに優先順位づけの技術が組み込んである場合である。

9. ここに「共有地の悲劇」がある。e2eを核とするネットのアーキテクチャがイノベーションのコモンズを形成してきたなら、「共有地の悲劇」とは産業界がそれをつぶすようなテクノロジーをネットに追加しようとすることだ。

要するに、e2e、すなわちインターネットの「コード層」をコントロールがないという意味での「フリー」な状態に保つことでネット上のイノベーションを促進してきたにも関わらず、産業界(ISPやインフラ企業)は逆に、ネットにコントロールを与えるための設計を埋め込む方向に動きつつある。これは由々しき事態である、と。

この考え方に対するYoo教授の反論はまた次のエントリーで。

ちなみに、インターネットはもともと1960年代に終わりの米国国防省のプロジェクトから始まったのは有名な話。ARPANETと呼ばれたこのネットワークの設計に関する基本的な考え方は、ここに詳しい。

David D. Clark "The Design Philosophy of the DARPA Internet Protocols"
http://www.cs.princeton.edu/~jrex/teaching/spring2005/reading/clark88.pdf

また、エンドツーエンド原則を提唱した有名な論文はこちら。

J.H. Saltzer, D.P. Reed and D.D. Clark "End-to-end arguments in system design"
http://web.mit.edu/Saltzer/www/publications/endtoend/endtoend.pdf

(続く)
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2009/12/14(月) | インターネットの規制をめぐる考察 | トラックバック(0) | コメント(2)

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