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帰国

NY JFK空港にて。あと30分ばかりででアメリカをあとにする。

IMG_2279(変換後)


数えてみたら、アメリカ到着直後に始めたこのブログも、これが439番目のエントリーになる。ひと月あたり約20エントリーのペースか。

そう考えるとずいぶん大変そうに聞こえるけど、ブログを続けることに特に苦労はなかった。

きっと書くことそのものが好きなんだろうし、書き続けることでいろんないいことがあったし。自分のブログを読み返してやる気が出たり、もやもやした頭がすっきり整理できたり、コメントしてくれた見ず知らずの人と知り合いになれたり。

これで留学中のブログはおしまい。

それでは今までこのブログを読んで下さった皆様、どうもありがとうございました。

この先どうするかは、今いろいろアイデアを考えてる。帰りの機内ででも考えをまとめてみようと思う。
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2010/05/25(火) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(5)

Whiz Kids

whiz = (ピューっと飛んでいくことから)やり手、切れ者、達人
whiz kid = 若手の大物、青年実業家、神童

これが複数形(whiz kids)となって、凄いことをやってのけた若者グループ、ということになれば、歴史的に有名なのは、

● 1946年に第二次世界大戦の退役軍人からフォードの幹部に転身し、フォードの立て直しに活躍した10人組

● その一人で後にフォード社長になったロバート・マクナマラが1961年にケネディ政権下で国防長官に任命された際に彼を支えた、ランド研究所出身の若手スタッフ

そして、時期的にその二つの間、1950年のWhiz Kidsが、

● 平均年齢わずか26歳という若手主体のチームでナショナルリーグ優勝を果たしたフィリーズ



日本でいえば、

幕末の志士達はまさにWhiz Kids。

戦後を代表するベンチャー、ソニーやホンダを興したのもWhiz Kids。

翻って現代のWhiz Kidsは?

確かに個人としてはいろいろ名前が挙がるだろう。

でも、複数名のグループとしては?

そんなグループがぽこぽこ出てきたらきっと日本はもっと面白くなるだろう。
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2010/05/10(月) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

1860年をめぐる留学生活の振り返り

母の日の朝ということで近所のカフェに家族で出かける。以前ブログでも紹介したこのLuteciaというこの店の名前は、きっとパリの古い呼称からきているのだろう。

座った席のすぐ後ろの壁に、1860年のパリを描いた一枚の絵が掛けてある。シテ島上空から西を望むイメージ。絵の中央やや右にルーブル美術館。そしてセーヌ川をさらに奥にいった場所にエッフェル塔はまだない。

1860年といえば、オスマンによるパリ大改造が行われていた時期にあたる。世はナポレオン3世による第二帝政期

今から約150年前に相当するこの1860年頃というのは、2年間の留学中に何度も意識した自分にとって象徴的な時代だ。

まずなにより今住んでいるこのフィラデルフィアの家がちょうどその頃に建てられたと大家さんから聞いている。室内は近年に改装されているものの、床と壁の一部は建設当時のものがそのまま残っている。

ちなみにこの家が建てられた頃のアメリカは南北戦争(1861-1865)の時代。フィラデルフィアは当然北軍。両軍の事実上の決戦となったゲティスバーグの戦い(1863年7月1日~3日)はペンシルバニア州での出来事。この戦いにおける戦没者のための式典においてリンカーン大統領が同年11月19日に行ったのが、ゲティスバーグ演説(...government of the people, by the people, for the people..)。

そして選挙時、就任時に何かとリンカーンを自身とダブらせていたのが、現オバマ大統領52th St.で行われた彼の演説に家族で出かけもしたし、ちょっと元気を出したいときにwill.i.amによってアレンジされた「Yes We Can」をこの留学中何度も聴いた。あの時のアメリカの熱気に触れた身としては、大衆の飽きやすさというものが今後も強烈に記憶されると思う。

この時期アメリカは南北では奴隷制度を巡って戦争をしていたが、東から西への開拓も同時に行われてた。そもそも南北戦争は、領土が西部に広がることに伴い、新州に奴隷制を認めるかどうかで南北が対立したことによって引き起こされたもの。西部開拓では各地で連邦政府とインディアンとの戦いが繰り広げられ、この夏に訪れたモンタナはインディアンの最後の砦だった場所。東西から建設が進められていた最初の大陸横断鉄道がユタ州でつながったのが1869年5月10日。

ペリーが黒船に乗って浦賀にやってきたのは1860年の少し前のこと(1853)。このときイギリスは産業革命から既に100年。アメリカも他の西ヨーロッパ諸国と同様に工業化を進展させていたものの、西部開拓により国土が拡大することに専念していたために他の先進諸国に比較して海外の植民地開拓は進んでいなかった。黒船来港は日本の視点からは「太平の眠りをさます」ものだったが、アメリカから見れば極東地域へのアクセスの確保という目的によるものだった。

ちなみにペリーが乗船していたサスケハナ号を造船したのはフィラデルフィア海軍造船所(Philadelphia Naval Shipyard)。フィリーズやイーグルスの本拠地が位置するスポーツコンプレックスのすぐ南に存在したアメリカ海軍最初の造船所。

そしてまさに1860年頃に人生のピークを迎えたのが坂本龍馬。そしてその前後に活躍した幕末の志士達。

幕末の志士

これはフルベッキ写真と呼ばれる有名な集合写真。オランダ人写真家、フルベッキを囲んで佐賀の致遠館の塾生を写したものとされるが、坂本龍馬・勝海舟・大隈重信・西郷隆盛・高杉晋作らも写っていると主張する人もいるようだ。

これが写されたのは1868年、すなわち明治元年のことらしい。明治維新以降、日本も西洋列強に遅れて工業化を進め、そして「坂の上の雲」に向かって突き進んでいく。

この時期、黒船に象徴される工業化の波は海外からに日本に押し寄せたが、逆に日本から海外に出ていったものといえば、まさに1860年の万延元年遣米使節。1854年の開国後の最初の公式訪問団。2月に出発した一行はサンフランシスコに到着後、パナマの陸地を汽車で横断、ワシントンでブキャナン大統領に謁見、さらにフィラデルフィアも6月9日から6日間滞在している。ということは、今住んでいるこの家は、勝海舟や福沢諭吉がフィラデルフィアに滞在していたまさにそのときに建てらていたのかも知れない。

それから当時日本から世界進出したのは、浮世絵に代表される芸術作品。1867年のパリ万国博覧会には江戸幕府が多くの美術品を携えて出展した(ちなみにこの当時の混乱を示すように、薩摩藩、佐賀藩も独自出展している)。ただ、この万博で初めて日本の芸術作品が注目されたというよりは、幕末の混乱に乗じて万博以前から多くの浮世絵や陶磁器がヨーロッパに輸出されて高い評価を受けていた。パリ市民からすれば、素晴らしい芸術を有しながらも世界から孤立する謎の国ジャポンが遂に国を開いてパリにやってきた、といったところだったか。

当時パリを中心に発生していたジャポニズムの衝撃は多くの芸術家に影響を与えた。19世紀末から20世紀初頭にかけて写実主義から抽象主義へと変化において、印象主義はその初期段階であると考えられているが、ジャポニズムはその印象主義への変革に決定的な作用を及ぼしたとされる。それまで絵画は写実的でなければならないとされた規範に対して浮世絵が与えた衝撃は想像に難くない。

昨夏にINSEADへの交換留学のために滞在したフォンテーヌブローは写実主義のひとつバルビゾン派が生まれた場所。またバルビゾン派にもその芽が見られるという印象派、特に後期印象派の作品は、ここフィラデルフィアが誇るバーンズ・コレクションが世界最高峰の展示をすることで知られる。つい先日両親を連れて訪れたが、ピカソの横にアフリカのお面を並べるような自由な展示をしながらも浮世絵が一枚としてないのはどういうことだろうね、と父がつぶやいていたが、それはジャポニズムが印象派に与えた影響を考えればまさにその通り。バーンズ博士はどうして浮世絵を一枚として買わなかったのだろう。

ちなみにフォンテーヌブロー城はナポレオン3世によるフランス第二帝政の舞台。そして、彼を甥に持つナポレオン・ボナパルトもパリから程近い狩猟地だったこの城にしばしば滞在している。

最近ホーキング博士がやっぱりタイムトラベルは実現可能だと発言して物議を醸しているそうだけど、もしどの時代にもいけるなら、1860年頃の日本なんて相当面白いだろう。そしてその当時に、この2年間で経験したように、アメリカとフランスの両方に留学できたとしたら、と考えるだけで身震いがする。
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2010/05/09(日) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(1)

I like an arch

To express is to drive.
And when you want to give something presence,
you have to consult nature.
And there is where design comes in.

If you think of brick, for instance,
and you say to brick,
"What do you want brick?"
And brick says to you
"I like an arch."
And if you say to brick
"Look, arches are expensive,
and I can use a concrete lentil over you.
What do you think of that?"
"Brick?"
Brick says:
"... I like an arch."


-Louis Kahn
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2010/05/06(木) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

ドキュメンタリー映画「My Architect」を鑑賞してのつぶやき

ルイス・カーンの息子によるドキュメンタリー映画「My Architect」鑑賞。これまで見たどんなドキュメンタリーよりも深くのめり込んでしまった。ここフィラデルフィアそしてペン大は彼のゆかりの場所。あと2週間の間にいろいろ建築を見ておかなきゃ。フィッシャー邸には是非行ってみたい。



ちなみにルイス・カーンが心臓発作によりペンシルバニア駅のトイレで亡くなったのは1974年3月17日。私が生まれるほぼ2ヶ月前。



60年代にはルイス・カーンによるフィラデルフィアの都市再開発計画の話もあったのか。市内中心部には車両の進入を防ぐという大胆なアイデア。実現していたらこの街は全く違う姿をしていたことだろう。考えるだけでわくわくする。



ちなみに彼の事務所は1501 Walnutにあったそうな。まだ建物は残ってるな。今日見てみよう。



ペン大にはカーン設計によるリチャーズ医学生物研究棟があるけど、まだあれがどう建築的にすごいのかについて知識がない。何度も通っているけどそのすごさはよく分からない。



ルイス・カーンはペン大建築学科で、バーンズコレクションのあの白亜の建物を設計したポール・クレに師事。



「My Architect」を観て気付いたけど、ルイス・カーンという人もいるし、ルイ・カーンと呼ぶ人も同じようにいるのね。



「My Architect」の中で建築学科の学生に対して「煉瓦よ、お前は何になりたいんだ?」「私はアーチになりたい」「アーチにお前さんを使うのは高くつくんだぜ」「でも私はやっぱりアーチになりたい」とやりとりしてみせることで素材の本来のよさを生かすことの大切さを説く場面がもう最高。



煉瓦であろうと何者かになりたいものだ、というルイス・カーンの言葉は、映画「幸福の条件」のなかで、デミムーア演じる女性の旦那であるしがない建築家が学生に対して紹介する場面に出てくる。Even brick wants to be somethihng.



「My Architect」にはペン大やフィラデルフィアの風景がたっぷりと映し出されている。映画「フィラデルフィア」と並んでここにいるなら絶対に一度みるべきドキュメンタリー。自分がどんなものに包まれているかについての認識が一歩深まると思う。その感覚は自分にとってとても大切なこと。



ルイス・カーンは私生活は周囲の基準からすればもうめちゃくちゃだったのね。学生時代、京都のボロ下宿で一緒だった超有名ラーメン店の厨房に立っていた方がよく「何かの分野で一流になろうと思ったら、キチガイになるくらいじゃないとだめよ」と語っていたのを久しぶりに思い出した。



建築家になるオプションを結果として選択しなかったこと、自分には超一流になるだけの狂気が欠けていること、でも建築というものには自分の心をとらえて離さない何かがあること、それら全部を引っくるめて今の自分であること、そんなことを「My Architect」を観て感じた。



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2010/05/04(火) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(2)

尊敬すべき上司

ロイヤーズマガジンに掲載された、アンダーソン・毛利・友常法律事務所の池永朝昭弁護士に関する記事

2005年の冬に突如として法務部への異動を打診され、まあそれも経験として面白そうかと受け入れる返事をしてから数日後のこと。私が当時かれこれ5年近くお世話になっていた直属のI部長が突如として私を連れ出したのが、この池永弁護士とのランチだった。

池永弁護士は当時ドイツ証券のジェネラルカウンセル(≒法務部長)。I部長がアメリカで仕事をされていたときからの付き合いだという。

法務に異動後は渉外弁護士を中心に何人もの弁護士の先生方と仕事をさせていただいたが、思い返せば、池永弁護士とのランチは、弁護士といわれる人と仕事上ではじめて接する機会だった。ランチの席上では、池永弁護士のアメリカでの留学時代のこと、留学後のインハウスロイヤー(企業内弁護士)としての第一線でのご活躍などを伺い、一ヶ月後に控えた法務での仕事に対して、単なる契約書のドラフトや係争案件に関する事務手続きを超えたイメージとして焼き付いた。

ランチも最後に近づいたとき、I部長が席を外された際に、若気の至りで、

「企業法務とは要するに何をするところだと理解すればよろしいのでしょうか?」

などとぶしつけな質問をした際、先生は、しばらく沈黙されたのち、

「組織のレピュテーションを守ることでしょうね」

とお答えになった。

その際は正直その言葉の意味が理解できず、また実際に法務部に着任してからも長い間だその意味は分からずじまいだった。

しかし3年を超えて法務の仕事をするなかで、法務の仕事とは結局、会社の意思決定を全てのステークホルダーに対して説明可能な状態にするための支援を提供するものであり、意思決定におけるアラカウンタビリティを常に担保することができれば、仮に何が起ころうとも、組織のレピュテーションをギリギリのところで守ることができる、と自分なりに理解するようになった。

今から振り返っても、(日本企業の)法務担当者は多かれ少なかれ、究極的には何を自らの職務とすべきかについて、結構悩むことがあるかと思う。保守的すぎると事業部に好かれないことが多いし、何年も経験を積まないと、弁護士のような専門性をもって社内顧客にサービスを提供することができないからだ。自分が提供している仕事の価値に自信が持てなければ、事業部側に対して無理に迎合してしまうか、又は高圧的な態度を取ってしまうかのどちらかの落とし穴に落ちてしまいそうになることもある。

私の場合は、「組織のレピュテーションを守ること」の意味合いを考え続けることで「意思決定におけるアカウンタビリティを担保すること」という自分なりの仕事上の意義を理解したのちは、仕事ががぜん面白くなった。

そして自分にとっての法務部での3年の実務からの最大のテイクは、法律知識でも契約書のドラフトテクニックでも弁護士との付き合いの勘所でも裁判上の戦略でもなく、経営者の視点に立ったときに、どんなステークホルダに対してどのような手続きでどの程度のアカウンタビリティを確保することが求められるのかという、コーポレートガバナンスにおける経営者の目線だったように思う(そんなスタンスで法務部での仕事をしていた自分がロースクールではなくMBAを志向したのは今から考えても自然なことだった)。それに付け加えるとすると、危機管理のセンスかな(法務部では本当に毎日いろんなトラブルを目にするものだ)。

今から振り返れば、I部長は、新しい仕事を部下に与えるにあたり、私の性格や仕事に対するスタンスを見極めたうえで、業界の第一線で活躍される方にまずは会わせてやろうと、あの山王パークタワーでのランチをセットして下さったのではないか。

理想的な上司には、コーチ、メンター、スポンサーの3つの種類があるという。

仕事の手ほどきをしてくれるコーチ、意識を常に高いところに保ってくれるメンター、これはと思う人材を組織のなかで引き上げてくれるスポンサー。

これまで何度もそんな上司に恵まれてきたことに感謝してきたが、この池永弁護士の記事をみて、改めてI部長への感謝の思いがこみ上げてきた。

それと同時に、もうそろそろせめてコーチやメンターとしての役割を担わなければと強く思う自分がいる。
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2010/05/03(月) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

慧梧を連れ回す日々に思うこと

誕生の地、アメリカをわずか2ヶ月であとにすることになる、慧梧(次男)。何ら記憶には残らないとアタマでは理解しつつ、できるだけ多くの場所に連れていき、できるだけ多くの友人に彼に触れてもらっている。彼がここアメリカに確かに存在したという「しるし」のようなものを与えてあげたいと願っているのだと思う。

卒業前のおそらく最後のコホート全体のディナーに、珈琲妻とともに慧梧を伴って参加した。悠梧(長男)は、こっちに遊びにきている両親に見てもらうことにした。

慧梧とコホート4

慧梧とコホート1

慧梧とコホート3

慧梧とコホート2

2年と長くはないものの、日本とは違ったアメリカでの家族生活を経て、日本での生活を所与のものではなく、数あるオプションのひとつだという感覚が芽生えている

もちろんそれぞれのオプションの実現可能性やメリット・デメリットはある。実際のところ今後日本で長く生活する可能性は非常に高いし、日本での生活そのものにも、素晴らしいこと、自分の子供達に経験してもらいたいことは山ほどある。

ただ、日本での生活を続けていくにしても、今後はその機会費用が常に意識のうちにあるだろう。他国で教育を受ける機会、英語を習得する機会、他国で素晴らしい人たちと出会う機会。

自分なり自分の家族を取り巻く現実を、無意気にまたは意識的に選択したオプションの束だととらえるようになってきた自分がいる。そして、各オプションの選択にできるだけ能動的に関わりたいと強く思っている自分がいる。

考えれば考えるほど当たり前のことなんだけど。
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2010/05/02(日) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(2)

松井のNY凱旋に素直に感動

NYに凱旋した松井秀喜への旧チームメイトと地元ファンからの祝福。



努力する者、結果を出す者は、人種や立場を超えて、惜しみなく、何らためらうことなく、賞賛するのがアメリカ。それはアメリカの美徳の一つ。
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2010/04/14(水) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

アーキテクトな思考と志向

しばらくぶりのニューヨーク。以前の職場でお世話になった方々とのランチと、ウォートンの先輩方とのディナーがメインの目的。

このふたつの予定の間に何を入れようか、行きのバスのなかで考える。選んだのが、ハイライン・パーク。廃線になった鉄道の高架をパブリック・スペースにするという大胆なプロジェクトで、2009年にNY市の公園としてオープン。Friends of the High LineというNPOがこの運動の中心になったそうな。



ハイライン・パークの南の端にあたるGansevoort St.から出発して北へ。

ハイライン1

ハイライン2

ハイライン3

ハイライン5

現在開通している北限は20th St。そこから先はご覧のとおり工事中。

少し前にTwitter上で @Lilac_logさんから、MTBIでINTP(※但しPはほぼゼロ値)の珈琲男は建築家というよりアーキテクト向きでは、とのコメントをもらったが、これは結構考えさせられた。

実は学生時代は建築家になりたいと思っていた時期があったけど、もうすこし突き詰めて考えると、人が身を置く環境をデザインして提供したい、というのが自分が考えていたことだったのかも知れない。

学生時代に、安藤忠雄氏が大阪の彼の設計事務所を設計するにあたり、建物を吹き抜けにすることで事務所のメンバーがお互いにその息づかいを感じられるようにしたかった、というようなことをどこかでいっていた記憶があるのだが、それを知ったときは心底しびれた。そのときの自分の感動は、いまから思えば、吹き抜けというデザインそのものよりも、それをデザインすることで事務所の人間にどんなダイナミズムが生まれるかという安藤忠雄氏の目線だったように思う。

人や集団が身を置き活動する環境がどうあるべきか、その理想の環境を作り出すにあたって自分は何ができるかということを、そういえば自分はずっと考えてきたような気がする。そいうことを考えねば、というより、そういうことを考えるのが自分は単純に好きなんだ、きっと。

建築家以外には、実はいつか喫茶店のオーナーになりたいと思っていたし、これは実は今でも思っている。ウォートン卒の喫茶店のマスターなんていいじゃない(笑)。多分まだいないと思うし。建築家と喫茶店主の共通項はこれまで必ずしもよく分からなかったけど、自分が提供する環境や仕組みが人々によきものをもたらすことに幸せを感じるから、と解釈すればより説明がつくように、今では思う。

といっても短期的には喫茶店のオーナーになる予定はない(笑)。まあ引退後の道楽としてずっと大切にしまっておこうと思う。

まあ喫茶店はさておき、今後の自分のキャリア形成にあたっても、自分自身のリーダー像なり普段の思考の癖をより深く認識することにおいて、@Lilac_logさんのコメントからとてもいい気づきをもらったように思う。

ハイライン・パークを北に歩きながら、そんなことを考えた。
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2010/04/12(月) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(2)

つぶやき小説 ~自宅前の路地での攻防~

約2時間前 Tweetieから
補助輪が取れたばかりの息子が家の前の路地を疾走中。向かいの家の前には自慢のポルシェ・ボクスターが。どうかぶつからないでくれ。

約2時間前 Tweetieから
うううっ、ぶつかる・・・。

約2時間前 Tweetieから
お、向かいのご主人、iPadを買った模様。軽く自慢された。

約2時間前 Tweetieから
家の前の路地にて息子を遊ばせつつ玄関先でマックブックをかちゃかちゃ。近所の人達が次々に通り過ぎて挨拶を交わす。この一年半ほど忙しくて近所にどんな人が住んでいるのかろくに知らなかったことを思い知る。退職後に初めて地域社会デビューした会社員の心境、かも。

約2時間前 Tweetieから
お、俺に対抗して向かいのおっさんがやつの玄関先でiPadをいじり始めた。明らかに優越感のオーラが出てる。一瞬火花が飛ぶ。

約2時間前 Tweetieから
くそっ、ワインまで出してきやがった。ビールを出して対抗することにする。

約2時間前 Tweetieから
Macbook Pro + ビール vs. iPad + 白ワイン の対決。どっちがお互い話しかけないでいられるかの勝負。お、向こうは娘まで出てきた。

約2時間前 Tweetieから
いかん、息子が明らかにiPadを意識している。いくなー、そっちにいくなー。

33分前 Tweetieから
向かいのおとうさんの手からワイングラスが滑り落ちて割れるという意外な展開。思わず駆け寄ってしまい勝負つかず。割れたねえ(it's broken)と揶揄する我が息子におじさんは、うちの奥さんには黙っとけよ、男の約束だぞ、と。その後うちの玄関先でしばし話す。短編小説でも書けそうだ。完
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2010/04/06(火) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

iPhotoで証明写真

慧梧の日・米のパスポート申請にあたり、どうやらデジカメでも証明写真を作れてしまうらしい、ということで試してみた。Macユーザの私が参考にしたのは、ここ。きっとWindowsでもできてしまうのでしょう。

で、うまくできたみたい。
慧梧証明写真
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2010/04/04(日) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(2)

iPad、触ってきた

近所のApple専門店から「明日iPad入荷します。いらっしゃいまし。」のメールがあったから、珈琲妻から頼まれた買い物ついでに寄ってみた。黒山の人だかり、ということは全くなく、5、6人が2台のiPadをのぞき込んでいるのみ。まあ小さい店だし。ちなみにフィラデルフィア中心部にはApple Storeはなく(郊外に一店あり)、この店が多分ほぼ唯一の営業・サービス拠点。AppleCareも受けられ、対応もいい。

ちょっと触ってみた珈琲男の個人的な感想。

<すごい>
● タッチに対する反応はすこぶるよい。動作も軽快
● 細かいUIの作り込みはハンパない
● 画面も非常に明るくきれい

<うーん、ここはイマイチ>
● モデルによって700g前後とのことだけど、意外にずっしり感あり
● 理屈抜きでこれで本を読む気にはなれない、という直感(ただし、数枚程度の論文や短い文章を読むのなら問題ないと思う)

<買うならこんな使い方、かな>
● 外出時のメール、ブラウザ、twitterに(もう学校にMacbook Proは持っていかなくなるだろう)
● 家ではフォトフレームに
● キッチンでレシピを確認(クックパッドとかもう何かやってよね、きっと)
● 少人数の打ち合わせにの際にみんなでのぞき込んで情報をみるのに
● 相当小規模のオーディエンスに対するプレゼンに
● iTunesのコントロール端末として
● 飛行機や車での移動時の子供の退屈しのぎに(ただし、子供が一人でこれを長時間ささえるのは無理そうだから、何らかのホルダーはいるだろう。あと子供に渡すには温度上昇がどんなものかも気になる。)
● GPSとして車に搭載するのは、うーん、ちょっと大きさ的に微妙
● お風呂テレビにしたら、きっと壊れる
● ヒッチハイクのサインにしたら、停まる車無し

<で、買う?>
● しばらくは買わない。っていうか、珈琲妻からNGが出た。

iPad.jpg

<<追記>>

あと使い方として、

● 寝るときに一緒に布団(ベッド)に持ち込む(これでいちゃいちゃするカップルも出てくることだろう)
● 通勤電車(バス)でダウンロードしておいた日経新聞電子版をざっと眺める(ただし電車・バスが劇混みでなければ)

ということもあるかも。買ってもいないのに想像力だけ逞しくなってきた。
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2010/04/03(土) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(2)

孫社長への質問 ~自分が大学3年生だったら~

Twitterでここ数日すごい勢いで言及されている、「孫正義 LIVE 2011」



思わず全部見てしまった。(少なくとも珈琲男がフォローしている方々については)Twitterでは概ね好意的なコメントを寄せている様子。スタンフォード大学の卒業式におけるあのスティーブ・ジョブスのスピーチになぞらえる人もあるくらい。確かに面白かった。こんな人、日本にはなかなかいないよね。MBA留学中の知り合いも、これ必見!、というようなコメントをしているけど、「高い志」「これからの日本はどうあるべきか」そして「坂本龍馬」とかっていうキーワードは、(MBA)留学との親和性が特に高い、ということはあると思う。早速「竜馬がゆく」をアマゾンで注文した人も少なくないはず。あ、それ俺だ。

これはどうやら形式的には学生に向けた会社説明会という体裁をとっているようだから、自分がこの説明会に出席した大学3年生だったら、この講演後にどんな質問をしただろうか、ということをちょっと想像してみた。一応アタマの中身は今のまま、でも、カタチ的には大学生だったら、というやや無理のある前提で。

 ADSL事業に進出する際、そのリスクの高さから、「ソフトバンクの株主には申し訳ない。社員にも申し訳ない。すまん、一緒に死んでくれ。」ということをおっしゃっていたのが非常に印象的でした。ここから「株主」と「社員」の観点で2点質問させていただきます。

 まず、個人として何を成し遂げられるかということに非常に強いこだわりをお持ちの孫社長は、株主と、経営者たるご自身のインセンティブを合わせるにあたって、普段どんなことをポリシーにしていらっしゃいますか?また、コーポレートガバナンスとして、どのような仕組みを導入されていますでしょうか?特に孫社長ご自身が大株主でもあるということかと思いますので、これについては個人的にとても興味があります。

 次に社員、というか、主に人事戦略についてですが、孫社長のような強烈な個性をお持ちの経営者が主にトップダウンで経営をされる会社にあっては、他の日本の伝統的なボトムアップ型の企業と比較して、異なる人事戦略が必要なのかと想像しております。孫社長は、ソフトバンクの人事戦略として、どんなモデルを想定されていますでしょうか?また、現状の人事戦略とこの理想モデルのギャップについて、特にそれをどう埋めていこうとされているかと合わせて、少しお話いただけると嬉しいです。


 IT革命は第一次革命がアメリカ中心&PC中心、そして現在起こりつつあるという第二次革命がアジア中心&モバイル中心、ということでしたが、これに関連して3点質問させていただきます。

 まず、この波はどの位の期間続くとお考えですか?仮に私が来年入社してソフトバンクで自分の全キャリアを全うすると2050年くらいになるわけですが、この間の約40年間のうち、この波はどのくらいの期間において重要なものであるとお考えでしょうか。

 次に、最初の質問に関連して、この第二の波に続く第三の波としては、例えばどんなものをイメージしていらっしゃいますでしょうか?できるだけ具体的に教えていただけるとありがたいと思います。

 最後に、アジアを制する者が世界を制する、ということで、『アジア インターネット No.1宣言』を謳われていますが、これは、アジアのインターネット関連事業におけるどのサービスレイヤーの主導権を御社として握ろうという戦略なのでしょうか?アジアの主要な市場におけるオペレーターを買収するなどしてインフラ部分を押さえようということでしょうか?それとも、むしろ中国でのオークションサイト事業のように、インターネットサービスでアジアを制する、ということを主に想定されているのでしょうか?というのも、この両方の戦略において会社として必要になるコア・コンペテンシーがやや異なるように思われます。アジアでのインターネット関連産業の競争環境とソフトバンクの組織能力を前提とした場合、どのレイヤーを特に御社として攻めるべきだとお考えですか?


 自分の人生を何に賭けるか心に決めておくこと、自分が登りたい山を決めてしまうことの重要性を強調されていらっしゃいましたが、その山というのは、当然ながらそのときどきの時代背景によって異なると思います。孫社長が今学生だったとしたら、ITやデジタル情報革命ということ以外では、どんな山を登りたいと思ったと想像されますか?


ちなみに、講演の最後で孫社長が言及する、彼が一番好きなビデオというのはどんなビデオだったのだろう?
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2010/04/03(土) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(2)

春休みの締め飲み

今週はまるまる春休み。いつ生まれるとも分からない二人目の息子との対面を楽しみに、フィリーでの待機の日々。といいつつ、二日と空けず誰かと飲んでいる毎日。ラーニングチームのメンバーや一緒にプロジェクトを組んだメンバーを自宅に呼んだり、日本人同期と飲んだり。今晩はすっかり飲み仲間になった感のある数学者のHさんとまた熱く語りつつ飲む。いつ来ても満席のWhisky Villageにて。つい先日、Shockyouとこの店で二人で飲んだばかりだけど、また来てしまった。

wiskey village

何となく話題は、「人脈」「ネットワーク」へ。

Shockyouとも同じような話になったんだけど、どうも「人脈」なり「ネットワーク」というのをどうも胡散臭いものとこれまでとらえていたものが、この留学中に随分と考えが変わってきた。自分があることを成し遂げたいこという意志が強くなればなるほど、一人ではどうしようもできないことがありありと感じられて、人に頼りたいという気持ちが増してくる。人脈に対するうがった気持ちなど持つ余裕もなくなってくるし、人の力を梃子にすることで何かが成し遂げられそうな感覚にときどき震えを感じる。

Hさんから、「ひょっとして自分こそがそれを成し遂げたいという独占欲がなくなってきてるってことはないですか?」と問われて、確かにそういう部分もあるような気がした。

何かを成し遂げるという結果こそが重要であって、それが自分一人で成し遂げたことである重要性はあまりないように思えてきている自分にはたと気付いた晩だった。
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2010/03/13(土) | 雑感 | トラックバック(1) | コメント(1)

Google スーパーボウルCMデビュー

ディナーに誘ってくれた友人宅で、スーパーボウルをしばし眺める。アメリカ最大(とか世界最大)とかいわれるこのスポーツイベントも、いかんせん同席した誰もがそもそもアメフトに大した興味がないから、BGMとして流れてたJazzと同じかそれ以下の扱いしか受けてなかった。そんななか、みんなが一瞬おっと注目したのが、GoogleによるこのCM



なんでGoogleが今さら検索サービスのCMを大枚はたいて(まあGoogleにとっては一枠で数億円という金額も大枚でもないかもしれないけど)流すわけ?というのがその場でのみんなの反応だった。売り出し中のNexus Oneならまだプロモーションしたいという意図がストレートでわかるけど。

フランスに留学することになった(アメリカの)男の子が、ルーブルのカフェで出会った女の子に恋をして、長距離恋愛を経てパリで仕事を見つけ、パリの教会で結婚式を挙げて子供ができる("how to assemble a crib" = ベビーベッドの組み立て方)、という一連のストーリーを、Google検索とその結果の表示という形式だけでつづっていくもの。

しかしアメリカ人ってフランスに対する憧れがあるよね。french girlってアメリカの男の子にとって何か特別な響きをもつらしい。ビールとピザで腹を満たしつつスーパーボウルを見てるのはまあ大半がアメリカ人男性だろうからね。

この柔らかい雰囲気のCMの狙いって、日々その影響力を強めているGoogleの、ともすると邪悪な存在だと思われる要素を中和して、ポジティブなブランドイメージを保とうというあたりにあるのだろう。通常のweb検索に加えて、GoogleマップやGoogle翻訳も駆使されてるけど、ここでGoogleブック検索やストリートビューにまでいかないのは、この狙いを踏まえればよく分かる。それに右側のスポンサーリンクも一切表示されないしね。

what are truffles(トリュフって何?)
who is truffaut(トリュフォーって誰?)

という洒落が笑える。

バックに流れる音楽もいいよね。なんていう曲なんだろう?
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2010/02/08(月) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(2)

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