スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

--/--/--(--) | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

ヴォー・ル・ヴィコント城

大家さんからこの辺りの見所として薦められたヴォー・ル・ヴィコント城(Château de Vaux-le-Vicomte)に向かう。城は、珈琲男の家とパリの丁度中間地点にある大きな街、ムラン(Melun)のすぐそばにある。

城に続く一本道の両側には、日光を思わせるかのように、大木が数キロにわたってずらっと並ぶ。一面緑の麦畑のどまんなか。

お城1

お城5

この城は、17世紀中頃にルイ14世の財務卿ニコラ・フーケ(Nicolas Fouquet)が私財を投じて建設したもの。当時のオールスター、建築家のルイ・ル・ヴォー(Louis Le Vau)、装飾家のシャルル・ルブラン(Charles Le Brun)、造園家のアンドレ・ル・ノートル(André Le Nôtre)の3人による初めての共同作品。この城の出来映えに大いに触発されたルイ14世は、この3人組にベルサイユ宮殿の建設を命じたという。このことから、ヴォー・ル・ヴィコント城がベルサイユ宮殿のモデルになったといわれる。ということで、ベルサイユ宮殿を観に行く前にこの城を訪れてみたというわけ。

地球の歩き方などのガイドブックには、城の落成パーティに招かれたルイ14世が、城のあまりの豪華さに嫉妬してフーケを投獄した、などと記載されているが、これはあまりに事実を単純化した説明。

ルイ14世は、父親(ルイ13世)の死により5歳により即位している。当然自分で国を動かすことなどできず、実の母で大后のアンヌ・ドートリッシュ(Anne d'Autriche)と、実は彼女と秘密裏に結婚していたともいわれる実質的な宰相でルイ14世の教育担当でもあったジュール・マザラン(Jules Mazarin)が国政にあたっていた。

ヴォー・ル・ヴィコント城の絢爛たる落成パーティは1661年8月17日に行われた。当時ルイ14世は23歳の誕生日を1ヶ月後に控えた若者。前年にマザランの手配によりスペイン王女マリー・テレーズ(マリア・テレサ)との(政略)結婚したばかりでもある。そして、実質宰相のマザランが死去した僅か5ヶ月後だ。年老いた母親は存命で、この祝宴に息子とともにフォンテーヌブローから(多分キラキラの馬車に乗って)やってきた。

マザランの後釜を狙っていたフーケにすれば、この大祝宴を自分の威信を国の実力者に知らしめる最高の舞台として認識していたのは想像に難くない。一方、野心ある若きルイ14世にしてみれば、それまで実質的に国と自分を支配していた偉大なマザランが死んだときにはそれなりの解放感を感じていただろうし、一方でフーケに対しては相当な警戒心をもっていたはず。さらに、生前のマザランから信頼を寄せられていたジャン・バティスト・コルベール(Jean-Baptiste Colbert)が、フーケの失脚を密かに企んでもいた。

コルベールより4歳年上のフーケはパリの有力貴族の出身で、13歳でパリ高等法院の弁護士、20歳で参事員請願委員、35歳でパリ高等法院の検事総長、38歳で財務卿に就任。堂々たる略歴。この頭脳に加えて、貴族らしい優雅さと芸術的なセンスも兼ね備えていたフーケは、様々な分野の芸術家とも親交があった。社交界のスターといったところだったのだろう。

一方のコルベールは、毛織商人の家の出。青年期から政府に職を見いだし、その才能を見込まれてマザランに重用された。勤勉に職務をこなすタイプだったようだ。

若き国王ルイ14世は、フーケとコルベールを頭のなかで天秤にかけていたのではないか。国王は、結局コルベールを選択する。与し易し、側近として有能ながら安全、という判断だったのだろう。

城の落成パーティの僅か3週間後、フーケはナントにて汚職容疑で逮捕される(国王の命でフーケを逮捕するのが、「三銃士」にも出てくるダルタニアン)。その後コルベールが強引に仕立て上げた裁判が行われる。この裁判は弁護士でもあるフーケの巧みな裁判戦術もあって3年にも及び、死刑を望む国王の意に反して、結局国外追放の判決しか出されなかった。国王の権力に対する司法の独立が当時からある程度実現していた証だろう(ただ結局国王の権力により終身刑に変更された)。

ルイ14世がフーケではなくコルベールを選択した判断は、分からなくもない。が、一応ビジネススクールの教えとしては(笑)、自分の近くに才能を置くことを恐れるのは真のリーダーではない、というところか。いやー、でもリアルに考えると確かに難しいね、この判断は。実際コルベールに才能がなかった訳でもないだろうし(彼は後にフランス重商主義でならしてフランス東インド会社を設立する)。

・・・そんな物語りが詰まったヴォー・ル・ヴィコント城を、珈琲Jr.が駆け回る。城の入り口で中世のコスチュームをレンタルした。2ユーロ也。

お城7

お城2

ちなみにこのヴォー・ル・ヴィコント城、今では私的に所有されているそうだ。映画の舞台としてもしばしば使われ、007の第3作、「ムーンレイカー」(1979年)、レオナルド・ディカプリオの「仮面の男」(1998年)、そしてソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」(2006年)などがここで撮影されたそうだ。
スポンサーサイト
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2009/05/26(火) | フランスの夏 | トラックバック(0) | コメント(0)

«  |  HOME  |  »

コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL
http://coffeeman.blog59.fc2.com/tb.php/217-18b0c500
 |  HOME  | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。