スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

--/--/--(--) | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

人の記憶に残る仕事

5月の卒業式を控えて、卒業後の身の振り方をどうするかが周囲の話題に上ることが増えてきた。少し前になるけど、以前法務部に勤務していたときからちょくちょく覗いていた葉玉弁護士のブログに、こんなコメントがあった(強調は引用者)。
 

弁護士は侍ですから、
  「仕事を引き受けた以上、他の弁護士に負けない仕事をする」
のは当たり前ですが、私の理想は
   「人の心に残る仕事をする」
ことであり、弁護士になって2年半、「心に残る仕事をするためにどうすればよいか」をずっと考え続けてきました。

 より速く、より深く、より親切に、より安く、より的確に仕事をするためには、どうすればよいか。
 誰にも解決できない問題をどう解決すればよいか。
 揺れ動く人の心をどう動かしたらよいか。

 答えは一つではなく、しかも、現在地に安住しようとすれば、すぐに時代に取り残されてしまいます。
 試行錯誤の連続で、悩むこともあれば、落ち込むこともあります。
 そして、プロである以上、限られた時間の中で、日々、決断し、仕事を進めていかなければなりません。


帰国するにあたって心に留めておきたいと思った。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2010/01/31(日) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

あまり語られてない(多分)iPadのもう一つの側面

そこかしこでiPadの話題があふれ返ってるね。正式発表された27日は、Whartonでも多くの学生が「もう見た~?」とはしゃいでた。

出版業界の構造を一変させるインパクトがあるとか(戦略論)、マルチタスクができないのがイマイチだとか(技術論)、さらには(生理用品を思わせる)ネーミングがどうだとか(マーケティング論?)、この騒ぎにもいろんな観点がある様子。

Appleが自らYouTubeにアップしたこの紹介ビデオを見てたら、ちょっと違った角度からiPadが面白く思えてきた。



いやー、確かにタッチセンサの感度といい、作り込まれたソフトウエアといい、素晴らしい。でも実は一番に気になったのは、現在のApple社の一線級の幹部をお披露目するかのようなビデオの作り。肝臓移植手術で数ヶ月間療養していたSteve Jobsに代わっていくつかのプレゼンを務めたPhil Schiller(マーケティング)はもちろん、iMacやiPodのデザインも手がけたJony Ive、それからiPhoneのソフトウェアやハードウェアのそれぞれの上級副社長がそれぞれの担当分野について相当練りこんだプレゼンを披露してる。

覚えている人も多いと思うけど、Steve Jobsの療養ための長期休暇にあたっては、彼の健康状態に関する株主への開示義務違反のありやなしやが話題になったくらいだ。Knowledge@Whartonでもこの記事(Job-less: Steve Jobs's Succession Plan Should Be a Top Priority for Apple)で、Steve Jobsの後継者育成の重要性が説かれている。

よく考えて見れば、iPadはSteve Jobsが昨年6月に復帰してからは初となる新プロダクトラインだ。Jobsが去った後のAppleがどのように今のモメンタムを継続していくか、一人の超スーパースターを欠いた後も革新的な企業であり続けるにはどうしたらいいのかを、この新製品の開発にあたってAppleの現経営陣が真剣に考えていなかったと想像するほうがおかしいだろう。

iPadを通じて、AppleのSteve Jobs後のリーダーシップやガバナンスを考えるのも面白いかな、と。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2010/01/30(土) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

AMERICAN EXPRESS

定期購読しているWIRED誌の最新号の特集のひとつが、「AMERICAN EXPRESS」。カード会社の話ではなくて、bullet train=超特急の列車がついにアメリカにもやってくるぞ、という内容。なんでもアメリカ内に5つの路線が建設される可能性があるのだとか。

bullet train

一方、今日のJR東海のニュースリリース。
http://jr-central.co.jp/news/release/nws000450.html

アメリカのコンサルティング会社と提携して新幹線(N-700系)リニアモーターカー(SCMAGLEV:Superconducting Magnetic Levitation Transport System)をアメリカに売り込んでいくのだとか。

・JR東海とUSJHSRは、近々米国連邦鉄道局(FRA)が2010年に高速鉄道に投資される予定の80億ドルの景気対策資金をどの路線に割り当てるかを発表し、これが、米国での高速鉄道への関心を盛り立てるであろうと言われていることに注目してきました。近い将来、米国にN700-Iのトータルシステムの導入候補地が複数あり、例として、タンパ-オーランド-マイアミ間、ラスベガス-ロサンゼルス間、テキサス、中西部の路線や他の地区で時速330キロ運転が行われる可能性があると考えています。加えて、他の世界市場も検討対象として行く予定です。

・JR東海とUSJMAGLEVは、いくつかの路線でSCMAGLEV技術に相応しいプロジェクトがあると考えています。米国においては、ボルチモア-ワシントンDC間、チャタヌーガ-アトランタ間、ペンシルバニアなどが可能性があると考えており、米国以外でも、長期的視点で検討できる路線があると考えています。


WIRED誌にはリニアモーターカーのことは一切触れられていない。ギーク好みのこの雑誌だからこそ、まだ商用化されていないJR東海のリニアモーターカーにも是非触れてほしかったな。

ちなみにWIRED誌には、東海岸のラインが運用されるのは2023年、とある。フィリーの30th Stationにリニアモーターカーが乗り入れるなんて考えるだけでわくわくするね。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2010/01/25(月) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

デジタルネイティブ

家で翌日の授業の予習をしてたらskyeに珈琲妻のアカウントからチャットが飛んできた。

okXXXdoyouwanttocometomyhouse

とある。一瞬なんだと思うが、これが実は

ok XXX do you want to come to my house

だと分かるまでには大して時間はかからない。最近文章を書くのに凝っている珈琲Jr.が単語の間にスペースを空けることをまだ知らないからだ(親も先生もわざわざ積極的に教えてないから)。ちなみにXXXは彼が大好きな女の子の名前。隣に住む女の子からのお下がりのラップトップPCを模したバービーのおもちゃを使い倒しているから、キーボードの入力もお手のものだ。

レゴ好きの彼は毎日、珈琲妻のMacBookのブラウザを立ち上げて"lego"をググり、トップの検索結果をクリックしてレゴのホームページで来年サンタさんにお願いするモデルを選んだり、簡単なゲームで遊んでる。

iPhoneは更に自在に操り、Podcastでダウンロードした鉄道番組を眺めたり、あちこちで写真を撮りまくってはその写り映えを確認してる。Appleのユーザインターフェースの質の高さはこんなところからもよく分かる。

「デジタルネイティブ」なる言葉をこっちに来てから知ったけど、珈琲Jr.を観察しているとなるほどと思わされる。ただ、今の段階ではまだ単に紙と鉛筆がノートブックに、紙のカタログが電子カタログに、といった同じ機能を実現するための手段の単純な置換があったに過ぎない。実質的な変化は、まだない。

次のステップは、友達やより広い世界とのコミュニケーションだったり、以前では考えられなかった範囲での情報検索だったり、デジタルコンテンツを組み合わせて何かを作り出す創造的な作業だったりするのだろう。これらは我々が子供時代には実質的にはなかったものだ。これらが子供に与えることのインパクトを想像するのはかなり楽しい。もちろん、いろいろ心配なこともなくはないが。

最近、非常にお年を召された教授がこんなことを授業中にコメントしていた。「しばらく前までは授業中はケータイやPCをしまいなさい、なんて言ってたけど、もうそんなことをいうのは止めたよ。君たちの世代では同時並行的に作業をするのがもうごく当たり前のことになっているわけだからね。その新しい流れに逆らってもしかたないと思うよ。授業の内容に関わることをリアルタイムに検索することだってあるだろうしね。」

デジタルネイティブでない学生でこれだから、珈琲Jr.が学生になるころの教育機関や彼らを顧客とした企業としては、知恵と柔軟性が随分と求められることだろう。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2010/01/21(木) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(2)

村上春樹のグローバル戦略

昨晩から読み始めた村上春樹の「海辺のカフカ」を昼過ぎに読み終わる。

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)海辺のカフカ (上) (新潮文庫)
(2005/02/28)
村上 春樹

商品詳細を見る

「ノルウェーの森」以降は彼が翻訳した海外モノを読むくらいだったから、久しぶりの村上作品。「僕」と「ナカタさん」のストーリーが章ごとに入れ替わりつつ次第にひとつに収斂していくという構成。「カラマーゾフの兄弟」のようないろんな世界観を詰め込んで絡め合わせた「総合小説」を書きたいと思って選択したそうな(柴田元幸「翻訳教室」P158-159)。昨年の夏に「カラ兄」を読破して一応「カラ兄読了クラブ」に入会してるから(笑)、村上春樹のいう「総合小説」のニュアンスはよく分かる。

しかし村上春樹は海外でよく売れている。よく出張で訪れたイギリスでも、昨年のひと夏を過ごしたフランスでも、そしてここアメリカでも、ある程度の大きさの書店に彼の翻訳本が置いていないことはまずない。なんでも近年の年収は海外分が既に国内分を上回っているのだとか(wikiによる「村上春樹」より)。珈琲男が好きな池澤夏樹はフランスではよく見かけたが(彼が一時期フォンテーヌブローに滞在していたことも影響しているのだろうか)、ここアメリカで目にすることは少ない。

何で村上モノはこうも広く海外で売れるんだろう。

昨日も紹介したカズオ・イシグロのインタヴュー記事にこんなコメントを見つけた。強調は珈琲男によるもの。以下このエントリーを通じて同じ。

イシグロ (途中略)現代作家の中では、好きな作家はたくさんいますが、村上春樹がもっとも興味ある作家の一人ですね。とても興味があります。もちろん彼は日本人ですが、世界中の人が彼のことを日本人と考えることができません。国を超えた作家です。現時点で、村上春樹は現代文学の中で非常に関心を引く何かを象徴しています。人は、日本文化に必ずしも関心がなくても、村上春樹に通じるものを感じるのです。

-村上春樹はそれを意図的にやっていると思いますね。

イシグロ その通りです。私もそう思います。そういう世代の作家がいます。ある程度は、私もイギリスやアメリカの読者だけではなく、国を越えた読者に訴えようとしています。多くの作家がそうしようとしていると思います。彼らは意識的に世界中の読者に訴えようとして小説を書いているのです。文化の壁がないように、そういう壁になりそうな要素をすべて作品から排除するのです。もちろんそれには一長一短がありますが、私も確かにそうしようとしています。


-もし村上春樹が最初から英語で書いていれば、さらに読者は増えるでしょうか。

イシグロ そうは思いません。村上春樹は興味あるケースだと思います、確かに、勇気づけられるケースだと思います。私は彼を非常に才能のある作家だと思いますが、十分に才能があれば、英語で書かなくても、英語に翻訳されればいいということです。彼のもう一つ特異なところは、国を超えたスタイルで書くだけでなく、リアリズムの外側で書いているということです。現時点で、世界中の作家をみても、所謂リアリズムのモードの外で書いてうまくいっている作家はそれほど多くいません。(途中略)興味深いのは、村上春樹はそれほど世界中を旅するわけではないのに彼のスタイルがインターナショナルだということ、そして世界で受け入れられているという面です。リアリズム・モードをうまく破ることができる人には、言わばこういう国を超えたいという渇望があるかもしれません。作家がそうすることに成功すれば、ガルシア=マルケスのように国際的に評価されますね。


なるほど。これをヒントに村上春樹の海外での成功の要因について仮説を立ててみる。で、かなり強引に企業のグローバル戦略と絡めてみる。アホらしいけど、冬休みだからこその酔狂だ。

仮説1: 感覚という普遍性 = 世界標準プロダクト

「ノルウェーの森」にしろ「海辺のカフカ」にしろ、舞台は現実としての日本であり(日本語で書かれているということを別にしても)日本にまつわる様々な「枠」の中でストーリーが展開する。でも、カズオ・イシグロがいうように、リアリティを追求するというよりも、とくに「海辺のカフカ」においてはむしろリアリティを放棄しているといってもいい。むしろ彼が追求するのは、自らの感覚やイメージだ。新潮社のサイトには、「海辺のカフカ」についての村上春樹へのインタヴュー記事に彼のこんなコメントがある。

小説を書く、物語を書く、というのは煎じ詰めて言えば、「経験していないことの記憶をたどる」という作業なんです。


問題は「誰の」記憶をたどるのか、ということだけど、きっと、登場人物を通じた村上春樹自身の記憶、ということなんだろう。登場人物は(少なくとも形式的には)日本人だし、それを利用して記憶をたどろうとする村上春樹自身も(こっちは現実として)日本人だ。でも、その両方が、日本人という枠にとらわれないように細心の注意を払っているように私には感じられる。もちろん完全に枠の外に身を置くのは無理だ。でも、枠のなかに閉じこもってしまうことを強い意志をもって避けているように感じられる。

そうした意志のもとに「経験していないことの経験をたどる」という行為の集積は、きっと、日本人というより一個人としての感覚やイメージの集大成になるのだと思う。そして、その感覚やイメージは、国という枠をこえて、広く人々に理解されるのだと思う。共感されるかどうかは読者次第だけど、少なくとも「分かる」のだと思う。「分かる」からこそ、売れる。少なくとも「分かる」ことが期待できるから売れる。逆に「分からない」「分かりそうにない」なら売れない。小説は経験財だから当然だ。

ビジネスにおけるグローバル戦略にあてはめてみれば、これはローカライズの必要性を最小化した世界標準戦略だといってもいい。プロモーションなりチャネル戦略という意味での売り方はいろいろあるだろう。ただ、プロダクトなりサービスそのものについては最初から世界標準狙い。みんながこのプロダクトなりサービスなりをローカルな調整を抜きにしてそのまま使ってくれるって自信もってますから、というスタンス。かつてのソニーがそうだったろうし、今なら間違いなくアップルだな。

村上春樹がグローバルに本を売るための手段として日本人枠を意図的に外している、とまではいわない。実際には、日本人枠を自らの流儀として外したらいつのまにか海外で自分の本が売れているという現実があった、ということではないか。でも、これだけ自らの本が売れてる今となっては、日本人枠を外すことを以前とは違った感覚で捉えてるのではないか、くらいは推測する。

ローカライズの必要性がないっていっても翻訳こそローカライズじゃん、という話もあるが、それは以下にて。

仮説2: 翻訳の容易性 = フロントを意識したバックエンド設計

池澤夏樹もそうだけど、村上春樹の文章って比較的他の言語に翻訳しやすいように思う。文章の構成がかっちりしていて曖昧なことろが少ないという意味において。そして、村上春樹は明らかに翻訳に対する意識が他の作家に比較しても強いといえる。何しろ、こうまでいっているくらいだ。

(途中略)どうして翻訳をするようになったかというと、やっぱり好きだから家でずっとやってたんですよ。英語の本を読んで、これを日本語にしたらどういう風になるんだろうと思って、左に横書きの本を置き、右にノートを置いて、どんどん日本語に直して書き込んでいきましたね。そういう作業が生まれつき好きだったみたいです。
それで結局、三十歳のときに小説家になっちゃったんだけど、小説書くより翻訳してたほうが楽しい。だから最初に『風の歌を聴け』という小説を書いて「群像」新人賞をとって何がうれしかったかというと、これで翻訳が存分できるということでした。だからすぐにフィッツジェラルドを訳したんですよ。(柴田元幸「翻訳教室」P151)


翻訳は常に彼の意識にあり、自らの作品を執筆する過程においてひとつひとつの文章の翻訳可能性を検証することが、意識的にであれ、無意識にであれ、相当にあるのだと思う。結果として仕上がる彼の作品は、他の言語への移植が比較的すんなりいくのだと思う。そのもともとの意味を損ねることを最小化しつつ。

小説を「読むという経験を売っている」とする立場に立てば、小説を売るのはサービス業に他ならない。生産と消費が同時になされるサービスという業態においては、必ずフロントエンドとバックエンドが存在する。顧客に何かを直接経験させるのがフロントエンドで、そのフロントエンドでの経験を提供者側で支えるもの全てがバックエンドだ。例えば、航空会社のカウンターでチェックインがフロントエンドで、それを支えるコンピュータシステムがバックエンドだ。レンタカー会社の車そのものはフロントエンドだし、それを車庫で掃除する職員はバックエンドだ。

サービスでは顧客から見えるのはフロントエンドしかないため、このフロントエンドでの経験を最適化するためのフロントエンドとバックエンド間の設計が求められる。フロントエンドでの顧客の経験には不確実性があるから(顧客にもいろんな人がいるし、サービスが提供される環境にもいろいろある)、フロントエンドでの自律性を高くすることもあり得るし、逆に同じ理由でフロントエンドの裁量を極端に低くすうることもある。どちらの場合にも、それに応じたバックエンドの設計が重要になる。

こう考えた場合、海外の小説を翻訳モノとして読むとき、翻訳されて活字になった言葉はフロントエンドだし、翻訳される前の原書はバックエンドにあたる。読者は(原本にあたらない限り)原本の活字そのものには一切触れないわけだから、これは妥当な評価だろう。

そして、翻訳がしやすい文章を書く小説家というのは、翻訳本を読者に読ませるというサービスの提供において、最初からフロントエンドを十分に考慮してバックエンドを設計している、といえるわけだ。

「ノルウェーの森」を書いたころの村上春樹が翻訳本を売ることを考えて文章を書いていたかどうかは分からない。でも、今となっては、例えば「1Q84」を書きながら翻訳本を全く意識しなかったといえばそれは嘘になるのだろう。きっと。

1.との関係でいえば、もともとの文章スタイルが翻訳という点においてはローカライズの障害にならないため、あとはコンテンツそのもののローカライズの必要性だけが問題になる、ということだ。で、コンテンツそのものはそもそも世界標準化されているから、そのまま売れる、となる。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2010/01/07(木) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

「私を離さないで」における「提供者」

カズオ・イシグロ「私を離さないで」を昨晩一気読みした。原題「Never Let Me Go」。その前の晩は「ハゲタカII」の上・下巻を一息に読んだばかり。読書三昧のこの冬休み。今は村上春樹の「海辺のカフカ」に移っている。手当たり次第の乱読。

わたしを離さないでわたしを離さないで
(2006/04/22)
カズオ イシグロ

商品詳細を見る


「私を離さないで」は間違いなくこの何年かの間に読んだ小説のなかでは最大の衝撃。ネタバレが大きく響く作品だから、そのプロットには触れるまい。プロットと並ぶもうひとつの衝撃は、子供の時に自分が感じていたこと、ただし感じていたことすらすっかり忘れていたものを、今さらながらにリアルになぞられたかのような感覚。そうした感覚をリアルに覚えているのがカズオ・イシグロのすごさなのか、それとも、そうした感覚を観察眼と論理なりで探求しきれてしまうのがすごいのか。

冒頭から圧倒的に存在するこの小説の違和感は、「介護人」と「提供者」なるものが一体何なのか、というところから来ているのだろう。そして、「介護人」がいつか「提供者」になる、とは何を意味するのか?原文にあたってみたところ、「介護人」「carer」の訳でまあそんなものだろう。しかし「提供者」の訳を充てられたあの英単語を訳者がそのままカタカナ表記していたなら、きっとこの小説の雰囲気が随分と変わっていたことだろう。謎めきの色はより押さえられ、違和感は(大きく残るにしても)相当薄れ、そして全体の筋が分かったときの衝撃がもっと和らげられていたはずだ。あの英単語にカタカナ表記を充てるか「提供者」と訳すかは、訳者も相当悩んだはず。

珈琲男はこの訳に反対する。作者自身が選択したあの英単語がもつ意味の幅より、訳者(もしくは出版社の担当者、か?)が選択した「提供者」の意味する幅が圧倒的に大きいからだ。

作者はこの作品をミステリーやSF仕立てにすることを避けたかったと述べている(注1)。あの英単語は、そんな意図を持つ作者が選択したものだったわけだ。ならば、「提供者」というずっと意味の幅が大きい日本語の選択により、謎解きの要素をあまりに大きくしてしまったことが、訳者としてとどまるべき一線を越えてしまったように珈琲男には思えるわけだ。もっとも「提供者」という選択が、日本語版「わたしを離さないで」を小説としてより面白いものにした側面もある。柴田元幸なら、これをどう訳したのだろうか。そして、日本を5歳で離れいまだに一応日本語もできるというカズオ・イシグロ自身は、この選択をどう考えているのだろう。

そうそう、友人に教えてもらったところによれば、この小説の映画化が既に着手されており、今年にも公開されるそうだ。脚本は、「The Beach」の作者アレックス・ガーランド。

注1:大野和基「Behind the Secret Reports」でのインタビュー記事より。ただし、ネタバレ必至なので、小説をこれから読む人はアクセスしないことを強くお奨めする。
http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/kazuoishiguro.html
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2010/01/05(火) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

選択しなかった選択肢

数学者のHさんと二人で飲んだ。彼の最新の研究の概論を解説していただき、生意気にもそれに対して挑戦もしてみた。お世辞にも面白い視点だといっていたただいてちょっと嬉しかった。

いろんな人と付き合えば付き合うほど、自分が知らなかった概念や知見に触れるほど、自分が人生において結果として何を選択しなかったかが分かる。自分は数学者になるという選択をしなかったし、建築家になるという選択をしなかったし、作家になるという選択をしなかった。それらに挑戦した結果、実現したか、大成したかは別にして、選択しなかった選択肢を今更ながら知る日々を過ごしている。自分がその時々において発想できた選択肢の狭さを実感する日々だ。

少なくとも発想としては選択肢を狭めてはいけない、選択肢を広く取るべきだ、という思いは、留学を通じて得られた最大の知見のひとつだ。

選択しなかった選択肢で最大の価値を機会費用という。自分にとっての様々な機会費用は、発想できた選択肢の幅の広さに依存する。留学期間は、自分のこれまでの機会費用の小ささを日々実感する日々だといってもいい。過去へのちょっとした後悔と未来への期待が交錯する日々だ。

(酔った勢いで書いてみた)
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2009/12/31(木) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

玉置浩二の20年間のほぼ真ん中に

冬休みに入った我が家では、リビングによく音楽が流れる。学期中はまず家で音楽を聞いている余裕がないから、そんな何気ない時間がものすごく贅沢に感じられる。

今日はiTunes Storeで何気なく視聴して気に入ったこのライブアルバムをダウンロードして聴く。

「安全地帯 VI LIVE ~月に濡れたふたり~」。1988年(昭和63年)夏の日本武道館でのライブ。

安全地帯

安全地帯 - 安全地帯? ライブ ~月に濡れたふたり~

実は小学校の終りから中学にかけて、安全地帯がかなり好きだった。確か1985年の大晦日に田舎のおじいさんの家の居間で紅白を見たあとに「悲しみにさよなら」をカラオケで歌ったのを覚えてるし、小学校の卒業式の日にちょっと気になっていた女の子から安全地帯の曲を集めたカセットテープをもらったのもいい思い出だ(後に別の友達ももらっていたことが判明した)。

このライブアルバムは、そんな自分にとっての80年代後半のにおいを運びながら、でもその音は全く古さを感じさせない。ものすごいレベルのバンドだったんだね。全曲ハズレなしだけど、なかでも最後の曲、「あなたに」が最高。

と、YouTubeにはこんな映像が。まずはおそらく20代後半と思われる玉置浩二



そして、その約20年後



あ、自分はこのちょうど真ん中あたりにいるのか。なんか前向きになれるような焦るような。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2009/12/28(月) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(1)

相棒のMacBook Proが悶絶する間に一冊

試験とレポートにほぼ目処が立ったのを見届けてくれたのか、相棒のMacBook Proが気絶してしまった。一応起動しているらしいが、画面が一切映らず。仕方ないからターゲットモードで珈琲妻のMacBookからハードディスクにアクセスしてレポートの最後の作業を終わらせる。冷や汗ものだ。これがあと2、3日でも早ければどうなっていたことやら。

最近バックアップを取ってなかったから、修理に出す前にハードディスクを丸ごと外付けドライブにコピーする。ターゲットモードでやっているからか、やたら時間がかかる。ちょっと読み始めたこの本を読み終えてもまだ終わらなかった。

希望を捨てる勇気―停滞と成長の経済学希望を捨てる勇気―停滞と成長の経済学
(2009/10/09)
池田 信夫

商品詳細を見る


時々のぞいている池田氏のブログからの抜粋を編集したものだから、自分にとっての目新しさはないものの、

今われわれが直面しているのは循環的な不況ではなく、かつて啄木が垣間見たような大きな変化の始まりかもしれない。それは成長から停滞、そして衰退へという、どんな国もたどったサイクルの最後の局面だ。それに適応して生活を切り詰めれば、質素で「地球にやさしい」生活ができる。日本は欧州のように落ち着いた、しかし格差の固定された階級社会になるだろう。ほとんどの文明は、そのように成熟したのだ。明日は今日よりよくなるという希望を捨てる勇気をもち、足るを知れば、長期停滞も意外に住みよいかもしれない。幸か不幸か、若者はそれを学び始めているようにみえる。


特に日本が今、直面している問題は、戦後ずっと続いてきた産業構造や労働慣行の行き詰まりなどの経済システム全体の問題であり、これを金融・財政などのマクロ政策や労使紛争と考えているかぎり、解決の糸口は見出せない。


という池田氏の現状認識に、確かにそうだなという思いを新たにした。なかでも彼がこの著書のなかで強調する、労働者を保護するための規制を強めるよりも、むしろ雇用の流動化を促すことのほうが、長期的な停滞から脱却するための処方箋としては、今の日本により求められる政策だというのはその通りだと思う。問題は、長期的な停滞から脱却して本気で次の成長を目指すのか、むしろ長期停滞とうまくつき合っていくことを選択するのか。

・・・AppleCareに入っているから、一応修理は無料らしい。しかも歩いて5分のところにあるAppleの代理店で修理してもらえることが判明。明日入院させる予定。今週中に退院してくれるといいのだが。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2009/12/13(日) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(1)

スキマ

スイッチじゃない。時間のこと。隙間時間。

スケジュールの間に少し隙間があると、その時間にできることをやってしまおうとする癖がついてきた。これが結構効率がいい。5分ならメールを何通かしたため、10分ならブログで短い記事を一つ書き上げ、15分なら宿題に出された短めのarticleを一本ざっと読む、など。後ろの時間が決まっているからむしろ効率的にできるのだろう。ならば、むしろ意図的に隙間時間を作るのっていうのもアリなのかも。

・・・ただ、こういうことってあまり意識しすぎると、何だかよく本屋で見かけるハウツー本のネタみたいでどうもイマイチなところもあり、ほどほどにしておこうと思うのだけど。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2009/11/30(月) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

事業仕分け

民主党による事業仕分けについての議論がいろいろあるようだ。事業仕分け完了の会見の席に以前の職場でお世話になった方が映っていた(随分とお疲れの様子だったが)のをきっかけに、ネットをざっとのぞいてみた。

好意的な意見とともに、批判的な意見も随分とあるようだ。それらを大別すると、こんな感じだろうか。

i) 仕分けのプロセスがよろしくない(基準が不明確、時間短すぎ、公開裁判か?)
ii) 仕分けの判定結果がいかん(スパコン凍結っていいのかい?)
iii) 仕分けのそもそもの位置づけがなっとらん(一体そもそも仕分けって何よ?)

ちょっと考えてみる。

i) なら次から修正すればいいこと。
ii) の場合は、まずは国の将来に重大な悪影響があるかどうかを冷静に見極めるべきだろう。ただ、凍結なり縮小になったものはあくまで「国の予算=税金」で行うことが適当かの判断だという当たり前の前提を見逃してはならない。

iii) はもっと冷静に考えてもいい気がする。そもそも何で事業仕分けをするのか。

民主党の公式な見解は知らないけど、その意図は、日本が1,000兆円にものぼる財政赤字を抱えて将来に重大な不安を抱える中で、国家予算の査定を(たとえごくごく一部の事業についてであれ)完全にオープンな形で行うことで、国民、政治家、そして官僚の「規範=norm」を変えるきっかけにしたい、というようなことなのだと思う。実際、その意義とインパクトはかなり大きいと思う。

アメリカにおける財政赤字の累計額も絶対額としては日本とちょうど同じような規模だという(※wikiによる。間違いがあったら指摘して下さい。)そういえば昨年、こんなドキュメンタリーが世に出たよといってウォートンの政治クラブか何だかが学校で自主上映したのを観に行ったのを思い出した。ほんの一瞬だけペン大のキャンパスも登場する。

「I.O.U.S.A.」 



こういう映像を使ったコミュニケーションってアメリカの上手いところだね。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2009/11/30(月) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(3)

英語力の「もうあと一歩」に応えるビジネスってアリですか?

TOEFL?100点あります。TOEIC?900点とか普通にありますけど。英字新聞?だいたいさくっと読めます。英語での日常会話?困ったことは基本的にないですね。ビジネス英語?いや、もう何年も普通に英語でビジネスしてますけど。

・・・という日本人(ただし完全なバイリンガルを除く)は、それなりにいるものだ。海外留学して他の国の学生と対等に渡り合う人、海外マーケットで活躍するビジネスマン、国際結婚などして海外での生活を満喫している人々、などなど。そのかなりの割合が、帰国子女だったり、学生の時に何かのモチベーションで英語を本気で勉強した人だったりするのかな、きっと。

でも、そんな人たちが英語力の向上無関心かといえば、実はそんなことないんじゃないか、と思う。むしろ、意外に悩んでいる人もいるのだと思う。確かに第二言語としての英語はそれなりに身に付けた。でも、やっぱり完全なバイリンガルとは違う。ネイティブのよう早く正確に読み聞きして、言葉豊かに自分を表現できるかというと、そのレベルからはほど遠い。それで不自由があるかというと、うーん、微妙。自分の基準をどこにおくか次第かな。でも、できることならこの壁を破りたい・・・。というようなモヤモヤした気持ち。

別にバイリンガルが格好いいから、ということではなくて、実際上の問題から、更にここからもう一歩英語が上手くなりたいっていう需要って、結構あるように思う。更にもう一段階早く英語の文献を読みたい、一流と認められる文章を英語で書いてみたい、自分の意見を集団にもっと効果的に伝えられるようになりたい、などなど。でも、それを実現する具体的な手段が分からない。本屋の英語コーナーを覗くのは全く時間の無駄だろう。かといって適当な学校があるのかも分からない。後はどれだけどっぷりと英語漬けの生活をするかでしょ、ということかも知れないけど、今から国際結婚するわけにもいかないし(少なくとも私はそうだ)、留学しても英語を使う程度にはやっぱり限度はあるし・・・、という感じ。

こういう「最後のもう一歩をなんとかしたい」というニーズって、今でもあるし、これから結構増えるように思う。日本が海外マーケットから切り離されつつある危機感は巷で盛んにいわれるけど、仮にマクロとしてそうなるにしても(それは非常にゆゆしきことではあるが)、本当に英語を使いこなせる一部の層は、むしろ分厚くなっていくように思う。こっちで出会ったぎらぎらした目をした日本人の若い学部生を見ていると、そんな気がする。

この「最後の、でも高い高い壁を越えたい」ニーズに応えるビジネスって、意外にアリだと思うんだけど。誰かやってくれないかな。っていうか、もうあるんだったら、教えて下さい。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2009/11/27(金) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(5)

検索キーワードが結構面白い

このブログをホストしているFC2では、どんなキーワードを検索サイトに入れてこのブログに飛んできているのかということが分かる仕組みになっている。

これを時々眺めると面白いキーワードにときどき遭遇する。よくあるのが、MBAにちょっと何かを絡めて検索、というパターン。例えば・・・

「MBA mac ユーザ」(注:確かにそうです)
「MBA 最年長」(注:確かに近いかも)
「MBA 中高年」(注:中高年、とまでは思ってませんが)
「無名企業からMBA」(注:どうなんでしょう)
「鎌倉 MBA 寝ないで」(注:一応寝てます)
「親がMBAに反対」(注:反対されてません)
「MBA 後悔した」(注:別に後悔してません)
「MBA 男 もてる」(注:いや、別に・・・)
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2009/11/23(月) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

詰まりに詰まってます。だから、とりとめもなく。

なにしろやることが多くて、ブログの更新がいつになく滞っている。

マネージメント系の科目はどうしてもアサインされる読み物が膨大になるうえ、次々にレポートの提出も課される。ブログを書くのは結構早いんだけど(笑)、やっぱりそれなりの英語を早く書くのって、まだまだ訓練が足りないことを日々実感。読んでみるとそれなりかなと思うけど、いかんせん書くのが遅すぎる。それにしても2年生の選択科目って、基本的にその科目に対するモチベーションが高い人が集まってるから、ひとつひとつの課題に対するコミットメントも高くて、やってて気持ちがいい。有志で週2回やってる勉強会も珈琲男にとってはものすごく有意義。

ロースクールのインターネット法のクラスではこれまでの議論の集大成ともいえる「ネット中立性」にいよいよ議論が移っていて、最前席にかじりついてYoo教授のマシンガントークに必死についていっている。山ほどぶつけてみたい質問があるから、近々彼のオフィスを訪れてみるつもり。「ネット中立性」って、日本ではどうも一時期「インフラのただ乗り」みたいな議論がなされていたこともあったけど(今の最新の議論はよく知らないけど)、少なくともアメリカではかなり議論の焦点が広いのね。「いかにネットがアプリケーション、事業者、コンテンツ等々に対して中立であるべきか」という純粋な「中立性」論から、「世の中のイノベーションにとってもっともあり得べきネットの姿とはどんなものなのか」というところまで、話題はぐぐっと広がっている。

必然的に、その議論においては、(ミクロ)経済学、産業組織論、競争戦略論、イノベーション論、法学、なかでも独占禁止法といった経済法、そしてもちろん純粋なネットワーク技術等々、広範な知識を動員することになる。Yoo教授はこのどれにもとんでもなく明るくて、その知識がマシンガンのように口からはき出される感じ。さらにはトポロジーやらグラフ理論といった数学が扱うような分野にも若干触れるから、正直全部を理解するのは無理。うーん、ウォートンの教授とは何か違うし、ローでもきっと異色中の異色なんだろうな。大学のときに同じ下宿に住んでた京都では超有名なラーメン店の厨房に立ってたおじさんが、「何かの分野で一流になろうと思ったら、キチガイになるくらいじゃないとだめよ」、といってたのを久しぶりに思い出した。

それから一年生の方々のJapan Trekの準備もいよいよ本格始動してきたようで、今日は引き継ぎの打ち合わせをさせてもらった。今年もいいトレックになることを願ってやまない。

そうそう、珈琲Jr.が今日5歳になった。5歳といえば、鎌倉は稲村ガ崎を舞台にした保坂和志の小説、「季節の記憶」クイちゃんと同い年。(確か)冒頭部分に出てくるクイちゃんと主人公の「僕」との間の会話が最高に面白かったんだけど(手元に本がなくて引用ができないが)、ちょうど同じような会話になるんだよね、最近。

季節の記憶 (中公文庫)季節の記憶 (中公文庫)
(1999/09)
保坂 和志

商品詳細を見る

今日はアイスクリームにローソクを立てて慎ましくお祝い。が、4本しかローソクがなかった。

誕生日
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2009/11/19(木) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(5)

河野太郎氏の所信表明

Twitterをやってて最近面白いのは、世の中のcollectiveな関心事の推移が、半日単位くらいの時間軸でなんとなく感じられるような気になること。

実際Twitterをやっている人が世の中の関心事をどの程度代表しているか甚だ疑問だし(例えば田舎のおじいさんが畑でつぶやくわけじゃない)、自分自身もさすがにTwitterのTL(Time Line)をじっくり追うほどの時間的余裕もないから、ときどき今使ってるTweetie(Twitterのクライアントソフト)をたまに高速スクロールして眺めるときにそう感じるだけなんだけど。

で、ここしばらくTwitterでつぶやかれているのが、河野太郎氏の自民党総裁選にむけた所信表明演説。YouTubeにアップされているのを多くの人が参照している。概ね好意的なコメントが多いようだ。Twitterでつぶやくような人が世の中全体の意見をどの程度代表しているかここでも不明だし、日本での報道ぶりは全く知らないから、実際この会見が日本のなかでどう評価されているのかよく知らないけど。

前から気になっている人だったから(地元・神奈川の政治家だし)、わずか15分程度のコンテンツだしと、たまった宿題の合間に見てみた。



いわく、自由主義・資本主義が圧倒的な勝利を収めたあと、本来なら自由民主党には新しい旗が必要だったのにそれを立てることなくここまできてしまい、今や単なる「政権与党」という旗しかなかったのがそれさえ失ってしまった。自分は「保守政党」という新しい旗を立てる。この旗の下に集まる人のための政党にしたい。目指すのは小さく効率的な政府、健全な競争社会、経済の成長。そのためには失敗を恐れず挑戦を促すためのセーフティネットも必要だ。

正論だと思う。賛成だ。たぶん、ウォートンでの一年を通じて、こういう考え方により強く賛同するようになったように思う。

続けて谷垣禎一氏の演説をみてみたが、始まって1分半のことろで「わたしが今日申し上げたいことは、たった一つ、単純明快でございます。みんなでやろうぜ、こういうことでございます」ときて早速消した。

河野太郎氏はきっと根回しなしに話してるんだろうからどの程度の指示を集められるか分からないけど、このあとの展開が楽しみだな。

ということで、宿題に戻ろう。
[PR] 台湾ワーキングホリデー

2009/09/20(日) | 雑感 | トラックバック(0) | コメント(0)

«  |  HOME  |  »
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。